〜 障害物競走 〜
〜 神羅カンパニー・シリーズ 〜
<26>
 ザックス・フェア
 

 

 

 

「ザックス……女神だよ」

 彼はひどく誇らしげにそう宣ったのだった。

 深紅の天鵞絨が織りなされる棺の中……その中に、さらに深い紅を纏った人物が眠っていた。

 長い黒髪が揺らめくようにその白い顔の周りを覆い、紅の衣にまとわりついていた。

 

 ……その人は間違いなく男の人だ。

 ジェネシスが「女神」なんていうから、まだ幼い美少年かなんかだと思っていた。だが、その人はおそらく俺たちより年長で……そして想像を絶するほどに美しかった。

 ああ、こんなとき、自分のボギャブラリーの貧困さが悲しくなってしまう。

 なんて形容すればいいのだろう。

 『美しい』……そう、その表現が間違っているわけではない。

 だが、あまりにも『美しい』という表現は、よく使われすぎていて、俗な印象を与えてしまうのが問題なのだ。

 

 棺の中の麗人は、そういった次元とは異なっていた。

 男だからとか女だからとか……性別すらも些細な事柄だと思わせるような……まるで人ならざるモノのごとき、例えようのない不可思議な美しさだったのだ。

 そう、敢えて言うなら、『ノーブル』とでも表現するのが近いだろうか。畏怖の念を感じさせるほどの美貌の持ち主だったのだ。

「……女神、お別れを言いに来たよ」

 ジェネシスがそっと棺の人物に語りかけた。

 壊れ物を扱うように、静かに手をのばし、白くなめらかな頬に触れる。

 目鼻立ちの整った十分美貌で通るジェネシス。その彼が同じ男性とはいえ、彼よりもずっとほっそりとした麗人の頬を撫でる様は、ひどく蠱惑的で……目のやり場に困惑してしまう。

 だが眠り姫は、規則的な呼吸を繰り返すのみ……ジェネシスの指先が閉じ合わされた口唇に触れたときでさえ微動だにしなかった。

 阿呆の俺はこの段にして、ようやく彼が本当に眠っているのだと気付いた。

「女神、今日は友人を連れてきたんだよ。……ほら、彼はザックス。この前話をしただろう? 俺の同僚なんだ」

 返事がないのに、ごく自然に語りかけるジェネシス。

「是非一度、君に逢わせてやりたくて、無理やり連れてきてしまった」

「あ、ど、どうも」

 俺は無意識のうちに、『女神』に一礼していた。

「……ねぇ、女神。俺は君の名を聞くことさえできなかったけど……でも決して君を忘れたりはしないよ」

 愛しげに頬を撫で、言葉を紡ぐジェネシス。

「君を眠らせた悪い魔女がいなくなったら……君が瞳を見開くその時が来たら……俺は君を迎えに行く。……必ず」

「…………」

「必ず君を迎えに行くから…… 俺の女神……愛しているよ、君だけだ。たった一度逢ったばかりなのに、俺の心はもう君のものになってしまった。罪深い女神よ……どうか忘れないで。俺の名はジェネシス。どうか……どうか忘れないで、愛しい女神……」

「お、おい……ジェネシス……」

 ヤツの告白があまりにも真に迫っていて……本当に胸が苦しくなるような切なさが込み上げてきて……つい、俺はヤツに声を掛けていた。

 ジェネシスは疲れた笑みを浮かべると、彼の額に掛かる黒髪を撫でつけ、そっと唇に接吻した。それもごく当然のように。まったくいやらしい感じがしなかったのが、俺自身にも不思議だった。

 

「さようなら、俺の女神。……いつか必ず迎えに行くから。そのときまでゆっくりとお休み。……必ず君を迎えにいくからね」

 胸元で組み合わされた両手に、自らの手を重ね、彼は繰り返した。

 これは『誓い』だ。

 きっと、俺を連れてきたのも、絵空事ではなく誰か第三者の前で、この『誓い』を知らしめたかったからなのだろう。

  

 ジェネシスは静かに立ち上がると、棺桶の麗人をしばし見つめていた。

 ようやく気が済んだのか、前と同じように蓋を戻し、名残惜しげに部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

「……ね? ザックス。本当に女神が居ただろう……?」

 ひっそりと彼はつぶやいた。

 俺に話しかけているのに、まるで独り言のような物言いであった。

「……ああ。驚いた」

「気が変わったか?」

 そう訊ねられて、意味がわからず、

「へ?」

 と間抜けた声を上げてしまった。

「言ったじゃないか。きっと彼を見たら、おまえも魅了されてしまうだろうって」

「え、い、いや、違うよ、そんなんじゃねーけどよ。……なんつーか、アンタがあの人を『女神』って呼ぶのは……理解できたような気がする」

 言葉を選びつつ、そう答えた。

「そう?」

「……その……間違いなく男の人だけど……なんていうか、『人間』じゃないみたいだ。すごく……いや、怖いくらいに綺麗で……ほら、なんていうんだ? ああいう何か不思議な人形あるじゃねーか。石膏みたいなカタイので出来てるヤツ」

「ビスクドール?」

「そういう名前なのか? よく知んねーけど。なんだか、人間っつーより、命を吹き込まれた人形みたいな雰囲気だったよな」

「ふふふ……ザックスにしてはいい表現だ」

 その物言いがからかわれているようで、ちょっとムカついたが、黙って聞いていた。

「そうだね……でもあの人形は生きているんだよ。いつか双眸を開き、この薄汚れた世界を見つめるのだろうね」

「…………」

「きっとガッカリするだろう。あの人と違って、世界は汚猥で醜悪だから」

 ため息混じりに彼がつぶやく。

「……っつーか、人間と世の中を並列で比べられるもんじゃないだろ」

 俺はそう応じた。

「でも、ザックス。おまえは願うことすらしないか? あの美しい女神が目覚めたとき、せめてわずかなりともこの世界が清らかであらんことを。ほんの少しでも彼の人の心を慰めて欲しいと」

「え……そ、そりゃ……まぁ……」

「ああしてどれほどの間眠り続けていたのだろう。そしてこれからも…… ならばこそ、長い時を経て目覚めるのであれば尚のこと……この世界に失望させるのがつらいんだよ」

「そ、そんな……そりゃ、仕方ねーじゃんかよ。確かに今、この世界は綺麗とは言い難いけど……だからって、全部が全部汚れていて、嫌な部分ばかりってわけじゃないんだし、この世界をどう見るかは、結局その人間次第なんだと思うが……」

「ザックスは強いなァ」

「そ、そんなんじゃねーよ。俺だって色々あるけどさ。でも、神羅でも大切な友人はたくさんできたし。どこにいっても出逢いはあるって……そう思いたいよ」

 ゆっくりと言葉を選びつつ、自分の思いを話してみた。適当に応えていいことではないと感じたから。

「ふふ。なぁ、その『大切な友人』に俺は入ってる?」

「へ?」

「だから俺は、その中に入っているのかって訊いているんだよ」

「そ、そーゆーこと、普通、面と向かって訊ねるかよッ!?」

「別にいいじゃないか?  おかしいかな? セフィロスにも訊いてみよう」

 そういうと、ジェネシスはさっさと屋敷を出、セフィロスの待つ喫茶店へ戻った。

 そんな話をしていたせいか、地下室へ向かう行きは落ち着かなかったが、帰りは平静でいられた。

 店で食後のコーヒーを啜っていたセフィロスは、

「遅い」

 と文句を垂れた後、ジェネシスの質問を耳にし、

「気色悪ィコト言うな」

 と、面倒くさそうに一言だけ吐き捨てた。