〜 あの懐かしき日々 〜
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
<30>
 
 ヴィンセント・ヴァレンタイン
 

 

 

 

 

私は、不躾な音を立てぬよう、そっとセフィロスの私室の扉を閉めた。

 あれから大分時間が経っていたし、なにより彼の部屋を訪ねた時点で、すでに遅めの時刻であったのだ。

 居間のほの明るい光を確認すると、ヤズーがガウン姿のまま、文庫本を読んでいた。別に私を待ってくれていたわけではなかろうが、なんだかひどくホッとしたのだ。

「ヤズー……まだ起きていたのか……?」

「ああ、ヴィンセント。うふふ、ちょっとね、読み出したらやめられなくなっちゃって」

 と答え、

「部屋ではもうカダたちが寝ているから」

 と付け加えた。

「何か飲む?」

 そう聞かれて、私はハッと意識を引き戻した。

 セフィロスとの会話が、とても重く深い話で、気持ちが引きずられたままだったのだ。

「あ、いや……だが……」

「待ってて、熱いカモミール淹れるから」

「あ、そんな……気を使わないでくれ」

「いいじゃない。俺ものどが渇いたんだよ」

 グズグズと返答に困惑している間に、手際のいいヤズーはさっさとお湯を沸かせて、ティーカップのセッティングをしてしまった。

 

「はい、どうぞ、ヴィンセント」

 湯気の立つカップをヤズーの座っていた席の向かいに置かれ、そのままそこに腰掛けることになる。

 私の中にわずかな困惑と躊躇を見取ったのだろうか。

 彼は女性顔負けの艶やかな微笑を浮かべ、やさしく声を掛けてくれた。

「うふふ、気にしないで。別にセフィロスと何を話してきたのかなんて、訊くつもりはないし」

「え……あ……」

「本当にあなたはわかりやすいねェ。ああ、普段無表情だから、慣れてくるとわずかな心の動きでも読みとれるようになっちゃったのかなァ」

「そ、そうか……なんだか気恥ずかしいが……」

「まぁ、それがわかるのは、俺とセフィロスくらいのものでしょ。……俺はまたあなたがひとりで思い詰めて、突飛な行動をとられるのが心配なだけ。そうでないなら全然気にならないよ」

「ヤ、ヤズー……」

 多分……本当の意味合いで私という人間を理解しているのは、この人なのかも知れない。

 人が人を理解するというと、最愛の相手のことなら誰よりもよくわかる、などと勘違いした答えを口にする輩が居る。

 いや、一概にその答えを否定するものではないが、それは、たまたま運良くその人間の『最愛の人』というのが、機微に長けていただけの話だ。

 

 ……人は大きくふたつのタイプに大別される。

 ひとつは、表に現れた面だけを素直に信じ、ありのままを受け入れてしまう人……そう、身近な人間でいうならクラウドのような子だ。

 『愛している』と言われれば、そのまま受け止め歓びに変換し、また自ら口にする、求愛の言葉に迷いがない人物。互いを愛してさえいれば、誰よりも解り合え、不幸になるはずがないと信じられる輩……

 

 ふたつめは、ヤズーや私のような者たちだ。

 愛すべき対象についても、その内奥をこれでもかと探ってしまう者ども……ああ、いや、探ってというのは、言葉が良くない。

 望むと望まざるとに関わらず、無意識のうちに読み込んでしまう癖がついている。

 私がヤズーと一緒に居て楽なのは、ある種同類の安心感からなのかもしれない。クラウドには到底話せないことでも、ヤズーには聞いてもらうことが出来る。

 彼にはきちんと踏み込むべきラインが見えているから。いくら大事に思っていても、心配があったとしても、相手のテリトリーを侵すような真似は決してしない。

 多分、セフィロスも後者なのだろうと思う。

 ただ彼の場合は、そういったことすべてを解った上で、必要とあらばどのような手段を駆使してでも、踏み越えられぬ柵を飛び越え、崩れぬ石壁を破壊して侵入してくる信念があるのだ。

 その強さが私とは圧倒的に異なる部分なのだろう。

 

「ほら、ヴィンセント、お茶、冷めるよ?」

「あ、ありがとう……いただこう……」

 きちんとソーサーまで付けてくれているあたたかな飲み物を両手で持ち上げ、そっと唇をつけた。穏やかなカモミールの芳香が鼻腔をくすぐり、ようやく緊張が抜けてきた気分だ。

「うふふ、ちょっと疲れた顔をしているね。まったく兄さんときたらあなたに甘えっぱなしでねェ」 

 セフィロスと話して来たのが、クラウドのことだと想像が付くのだろう。彼はそんなふうに軽く水を向けてきた。

「え……あ…… で、でも……私も色々と心配を掛けているから……」

「ご謙遜だね、ヴィンセント」

「い、いや……今はまだ、皆が居てくれるから、私の負担は軽いものなのだ。クラウドはいつもひとりで、私の重みを受け止めようとしてくれたから……」

「ふぅん」

「こ、こうして、話を聞いてくれるヤズーや、叱咤してくれるセフィロスが居るのが何とも心強い」

 心底本気でそう述べたにも関わらず、ヤズーは面白そうに声を出して笑った。

 

「まぁ……さ。俺たちは、ホラ、あの人の思念体だからねェ。兄さんやヴィンセントの昔のことは全然わからないんだけどね」

 そんなふうに前置きをしながら、彼は言葉を続けた。

「この世界ってのも、捨てたもんじゃないじゃないってさ。この家に来てそう思ったよ。どうしても、俺たちにはセフィロスのマイナス思念が流れ込んできてしまうから」

「ヤズー……」

「ミッドガルだの例の湖の近くに居たころなんかは、何の感慨もなかったね。薄鼠色の汚れた世界……ああ、なるほど、主体であるセフィロスがそう感じるのも無理はないな、なんて思ってた」

「…………」

「ま、結局のところ、生活環境っていうか、どんな人たちと一緒に居るかって問題なんだろうけどね」

 そう……そうなのだ。

 この目に写る世界が、毎日変わることなどあるはずがない。

 結局その時点でどのような心持ちで、世の中を見るのか…… コスタ・デル・ソルの青い空に澄んだ海でさえも、昔の私がただひとりで眺めたなら、美しいとは感じなかっただろう。

 むしろ、いっそ清々しいほどの空の色を憎み、深い海の色に恐怖すら感じていたかもしれない。

 ヤズーは、私たちと共に在るようになってから、この世界を愛おしく感じるようになったと……そう言ってくれているのだ。

 

「ん……同感だ」

 私はカップに手を添えたまま、ヤズーの意見に賛同を示した。

「私もおまえが言うとおりだと思う。どんなに美しい場所でも、それを『美しい』と愛せる心は、結局のところ生活環境に寄るところが多い。愛しい者たちと共に生き、苦楽を分かち合えるからこそ、身の回りに在る様々なものに感謝することができる」

 そう言った後で、

「あ……いや、こういう考え方は浅ましいのかな」

 と付け加えた。

 ようは、おのれが幸せでなければ、何を見ても感動など覚えないと言い切っているわけだから。

「そんなことないんじゃない? 俺もヴィンセントも言うとおりだと思うよ。兄さんと出会って、あなたたちとここに住むようになってからかなァ。あたりまえの風景に感動したり、前は全然興味のなかった町の女の子たちにやさしくしてやれたり」

 そんなふうに言ってから、「モテすぎても困っちゃうんだけどねェ」と、片目を瞑って微笑した。

「普通の人間じゃないけどさ。俺、今、生きててよかったって思うよ。俺みたいなヤツ、なんの為に生まれてきたかなんて……意味を考えるのもバカバカしいと思ってたけど、別に生まれたことに意味なんか見いださなくても、今が幸福ならそれで満足だもの」

 そう言いながら、空いたティーカップに二杯目を注ぎ足してくれた。

「強いて言うならヴィンセントたちに出逢うために……かな。ソレで充分だよ、生まれてきた意義は」

「ヤ、ヤズー……」

「たぶん、カダたちも同じように感じていると思う。もっともお子さまたちは口に出して話ができるほど、言葉が巧みじゃないだろうけどね」

「……ありがとう、ヤズー」

 きっと、涙腺の緩い私は涙ぐんでいたのだろう。

 彼はやれやれといったふうに、吐息すると、それ以上クラウドの話には触れずに、

「おやすみ」

 とだけ言い残して、部屋へ引き取っていった……

 

 ああ、クラウド…… 大丈夫だ、何も心配することはない。

 この家は……おまえの愛したこの空間はずっと変わることはないだ。

 素直で可愛らしい、私のクラウド。だれよりも真っ直ぐで気丈で、おおよそ少年のもつ清々しい気質を多分に有するおまえ。

 今なら、過去のつらい経験を癒すことができると……そう思うのならば、我々は充分にそれを受け入れてやることができるのだぞ……

 口には出さぬが、セフィロスとの確執は、もとが恋人同士であることに鑑みても、いっそう厳しいものであったのだろう。

 そう……平穏な今になって、こうして過去の自分を納得させてやらなければならないほどに。

 

 セフィロスはクラウドよりもずっと大人で……物事が見えていて。

 

 だから、ここは彼に任せるべきなのだ。

 クラウドはセフィロスの恋人であり、短くはない時間を共に過ごしてきたのだから。その時期の「やり直し」ならば、確かに私に出る幕はないだろう。

 そう心に決めると、先ほど飲んだカモミールが効いたのか、ひどく眠くなってきた。

 私は、静かに居間の扉を閉め、浴室に向かった。

 もう一度、湯船に浸かって、気を沈めようと思って……