〜 子猫物語 〜
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
<13>
 
 セフィロス
 

 

 

 

  

 

「ん……」

 ヴィンセントが小さく呻いた。

 オレが目覚めてから小一時間……徐々に部屋に満ちる光の量が増えている。

 時刻は午前七時過ぎだ。慣れない身体で過ごしていたとはいえ、そろそろ目覚める時刻だろう。

 白い……というより、蒼白い頬にくっきりとクマが浮かんでいる。ヴィンセントは髪も睫毛も黒いから、深い色合いの目元は、不健康な肌の色をことさら強調しているように見える。

 横になった姿勢で、少しだけ背を丸めて眠り込む。

 こいつは長身だが、いわゆる巨躯に見えないのは、極端に線の細い身体つきと、やや猫背気味の姿勢のせいかもしれない。

 夢の中で、あの女はなんと言っていたか…… 

 少し困ったように微笑んで、『ヴィンセント』のことを話していた。

 だが、そこまでしかわからない。『ヴィンセント』とヤツの名を口にしていたことは覚えていても、そこから先、女が何を言ったのか……オレになにを話したのかは記憶にないのだ。

「……う……ん」

 ベッドの中で、骨ばった肩が身じろぎした。

 そろそろ起こしてやって、最大の難問が片づいたと知らせてやろうかとも考えたが、やはり自発的に目覚めるのを待つことにした。

 繊細で臆病なコイツの心は些細なことで、極度の緊張にさらされてしまう。

 普通の人間なら、笑ってすませたり、そうでなくとも気を取り直すのに、多少の時間を費やせばすむことを、生涯の責問として背負ってしまう男だ。

 せめて疲れて横になっている時くらい、外からの影響ではなく自分の意志で目覚めればいいと……そう感じたからだ。

 

 ……だが、オレのそんな気遣いは無用だったらしい。

 さすがに八時近くになると、差し込む日差しも強くなってくる。眠りを妨げないよう、金具で留めっぱなしの遮光カーテンを引きにベッドを出ようとしたとき、ヴィンセントが目覚めた。

「ん…… あ……」

 掠れた低い声……まぎれもなくヴィンセント本人。猫ではなく、人間の発する声に戻っているのに。

 寝ぼけ眼のヤツはまだ気付いていない様子だ。

「……よォ、具合はどうだ? まだ眠ってりゃいいのに」

 オレは引きかけたカーテンを、窓の半分くらいで止めておき、ヴィンセントに声を掛けた。

「……あ……セ、セフィ……ロス?」

「どうした。まだ夢見心地か?」

 からかうようにそう言ってやると、ヴィンセントはようやく回らぬ頭を使い始めたらしかった。

「え……あ……あ、れ……?」

 自らの腕……そして喉を押さえる。

 人間の言葉が出ているのに気がついたのだろう。これまでは、ヤツがいくらしゃべろうとしても、「みゅー」としか言えなかったのだから。

「セフィロス……? わ、私……」

「なんだ? 『みゅー』じゃないのか? クックックッ」

 オレの物言いでようやく気付いたらしい。ヤツはあらためて、毛布から出ている腕やシーツに広がる黒髪を確認して、理解できたらしい。

「……戻った……のか……」

 と低くつぶやいた。

「そうらしいな。人間になった気分はどうだ? チビ猫」

 イタズラっぽくそう言ってやると、ヴィンセントは色味の無い頬をポッと紅く染めた。

「も、もとの自分の姿に戻ったのだから……その……か、快適だ」

「そうか、そりゃよかった。ってことはクラウドのところには、チビ猫が寝ているということだな」

「あ、そ、そうか……そうだな…… 蹴飛ばされたりしていないか気になるな……ちょっと様子を……」

 自身のことは後回しで、すぐに他の者のことを考える。節介焼きの人の良さは相変わらずだ。

「別に平気だろ。おまえの部屋で寝ると言っていたから、いざとなりゃチビがバスケットに移動するんじゃないか?」

「で、でも……クラウドはすぐに相手を抱き込んでしまうから。たぶん、昨夜も子猫の入った人物にしがみつくようにしていたのではないかと……」

 そんな回りくどい言葉で表現する。

 「『ヴィンセント』に抱きついて寝ている」

 と自らの口で語るのが恥ずかしいのだろう。

「……なんだか不思議な気分だ……」

「そりゃそうだろ。ここ数日、猫だったんだからな」

「ん…… ああ、そうか……景色が……目線が違うから……」

 ゆっくりと身を起こし、頭を押さえながら頭の中で考えていたであろう事を、低くつぶやく。

「目線が異なると……世界がまるきり違って見えるな……」

「そうか」

「ああ……だが……君は……」

 深い血の色をした双眸が、ほの暗い灯りをともし、オレを見つめる。

「君は……あまり変わらない……」

 どういう意味に取ればよいのかわからなかったが、ヤツはそうつぶやくと、ほんの少し……そうコイツに慣れた人間になら見分けられる程度に微笑んだ。

「ヴィンのように、君のお腹の上で寝てみたかったかな……」

 元の姿に戻れた安心感がそうさせたのだろう。ヴィンセントにしてはめずらしい軽口も聞けるようであった。

 

 

 

 

「あ、あッ……あれ……?」

 身体を起こそうとしたところで、小さな声を上げるヴィンセント。

「……なんだ、どうした? どこか具合が悪いか?」

 他意もなくオレは訊ねた。ここ数日自らの身体を操っていないのだ。子猫入りだったボディがどこかしら傷ついていたとしても、不思議はないと思ったからだ。

「い、いや……すまない、そうでは……なくて……」

 困惑した風に口ごもる。

 アホか。遠慮している場合ではないだろう。

「その身体にはやんちゃなチビ猫が入っていたんだからな。擦り傷のひとつくらいこさえていてもおかしくはないぞ」

「あ……ああ、それは……だ、だが……そうでなくて……」

 一瞬躊躇した後に、ひどく申し訳なさそうにつぶやいた。

「あ、あの恐縮だが……服を貸してもらえないだろうか?」

「……は?」

「あ、す、すまない。気を使わせたようで…… 猫の姿だったから……服が……」

 おずおずと上目がちにつぶやくヴィンセント。

 ヤツが悪いわけでもないのに、カッチーンときた。

 ヴィンセントにではない。先回りをしてつまらん心配なぞしてしまった自分自身にだ。

「…………」

「あ、あの……セフィロス?」

「…………」

「ど、どうかしたのだろうか……? な、なにか気に障ることを……」

「フッフッフッ……」

 むくむくと腹の底から、悪戯心が頭をもたげてくる。

 よくよく考えれば、ベストシチュエーションではないか。

 キングサイズのベッドに、素っ裸のヴィンセント。そしてローブ一枚でいつでも戦闘態勢に入れるオレ。

「あ、あの……?」

 ツカツカと扉の方へ足を進め、これ見よがしに後ろ手で鍵を掛けた。

「セフィロス……?」

「……腹の上で寝たかったんだろ?」

「え……?」

「そうだなァ、チビ猫のおまえを数日ここに泊めてやってたものなァ」

「え……あ、世話になった……その……ありが……とう」

 この流れで間抜けにも礼をいうヴィンセント。

 お人好しは健在である。

「フフフ、朝食前のコミュニケーションだ。汗を流すバスルームもすぐそこだからな」

 顎をしゃくって、傍らの扉を指し示す。

 普通のヤツなら、ここまでの流れで、身の危険を感じて逃げ出すだろうに。

 ヴィンセントは相変わらずトボけたツラをして、ぼんやりと寝台で半身を起こしているだけだ。