〜 子猫物語 〜
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
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 ヤズー
 

 

 

 

 

 

 何があっても朝は来る……といっていたのは、どこの作家だったか。

 あんなにとんでもない出来事があったにも関わらず、今日のコスタ・デル・ソルも雲一つない晴天だった。

 今朝は兄さんも大分ショックから立ち直ってくれていて、ヴィンセントと……あ、いや、ヴィンセントである子猫ちゃんと一緒に朝食を取っていた。

 子猫になってしまったヴィンセントにはチキンのささみを、指で解して口に運んであげ、今度はヴィンセント本体の猫ちゃん(というべきだろう)にスプーンで食事をさせてあげていた。

 メニューは昨日に続いて和食だった。

 子猫入りになってしまったヴィンセントは、スプーンやフォークも使えないから、こうして兄さんが直接口に運んでやっているわけだ。

 今日はカダージュとロッズの申し出で、配達の仕事をふたりが肩代わりしているのだ。やはりあんなことのあった翌日だし、兄さんはヴィンセントの側に居たいだろうからという、彼らなりの配慮らしい。

 俺としては、あのカダージュが、そんなふうに人に対して気を使えるようになったことが、嬉しいような寂しいような複雑な心境であった。

 

「はい、ヴィンた〜ん、ア〜ンちて〜」

 ……兄さんの気色悪い幼児言葉が俺の感慨をぶち破ってくれた。

「おいちいでちゅか〜? あ、お口フキフキしましょうね〜」

 座高も自分より高い、『ヴィンセント』の口元をナプキンでぬぐう。

「綺麗になりまちたねー。じゃあ、次はスープ飲みまちょうね〜」

「……兄さん、気色悪い」

「バカップルか、おめーらは」

 俺、セフィロスの順で苦情を申し立てる。

「うっさいな! 今、ゴハン中! 邪魔しないでよッ」

「フツーに食べさせてあげりゃいいじゃない。新婚サンじゃあるまいし」

「俺たちが新婚サンしているところに、おまえらが乱入してきたんだろーがッ!」

 聞く耳持たないといったふうに、兄さんはそっぽを向いてしまった。

「ゅ〜…… んゅ〜……」

「あ、ごめんねー。はい、じゃ、次はお魚ね〜。あっついからフーフーしまちょーね〜」

 ……初めて会ったときは、ずいぶんとストイックなキャラに見えたのに。

 俺はしみじみとしまりのない兄さんの横顔を凝視してやった。彼とバイクチェイスをしたときのことを思い出すと、あまりのギャップにこめかみが痛くなるようだ。

 セフィロスはセフィロスで、兄さんと恋仲であったときのことを、寂寥と共に回想……しているわけはなかった。

 彼はそういうキャラではない。

 彼らのやり取りに興味を失ったのか、セフィロスはソファの定位置にごろりと横になり、読みかけの新聞を手に取ったのであった……

 

 

 

 

 

 

「たっだいま〜、あー、暑かった〜! ヤズー、コーラちょうだい!」

「あー、俺も俺もッ!」

 昼過ぎになって、午前の配達を終えたカダージュとロッズが戻ってきた。午後の配達の前に伝票チェック、売り上げの確認、そしてもちろん、お昼ご飯を食べさせなければならない。

 俺は作り置きしておいた昼ご飯を温めにキッチンに立ち、カダージュとロッズは昼飯前に、倉庫から午後の配達品をバイクに写す作業、兄さんは玄関脇の小部屋で、伝票チェックと売上金を帳簿に付け、手提げ金庫に写すのだ。

 今、兄さんが請け負っている、デリケートで細かな経理系の仕事は、普段はヴィンセントがやっている。CPも使いこなせるのだろうが、古式ゆかしく彼は手で付けていた。

 そういうアナログな所作も、ヴィンセントによく似合っていて、俺は好きだった。

 さてと……。

「セフィロス、あなたもゴハンにする? ヴィンセントはどうする?」

 もちろん、後者は、子猫の中に入ってしまった『ヴィンセント』に向かって訊ねているのだ。今朝、兄さんに鶏のささみを食べさせてもらっていたのは知っているが、やはりというかなんというか、ネコになっても彼の少食はかわらなかったのだ。ほんの小さなものを一かけ二かけくらいしか食べていなかったので気になっている。

「オレはガキ共が終わってからでいい」

 雑誌から目も放さず、セフィロスが傲慢に言った。

「みゅ……みゅぅ……」

 ソファの向かい側に置かれたバスケットから、子猫ちゃんが顔を上げる。

 ヴィンセントと入れ替わってしまってから、そうやって静かに一所で小さく丸まっていることが多くなった。

「んー、じゃ、ヴィンセント猫ちゃんは、後で俺と一緒に食べようか。鶏のささみばっかじゃあきちゃうよね。ミルク粥でも作ろうかな」

「にゅー……」

 『すまない』と翻訳できそうな声音で、チビちゃんは鳴いた。

 まだ、入れ替わりの謎も解けていないし、今度は人間と猫という、到底考えられない異種間での変化だ。不安で落ち着かないのはわかるのだが……

 だからこそ、両者の健康を保つために、できるだけきちんと食事を取らせ、体力を落とすようなことはさせたくなかった。

「さてさて。じゃ、まずはカダたちと兄さんの分でいいかな。ええと……」

 ヴィンセントがいないことで、どうしても家事の負担は俺にかかってくる。だからどうということでもないが、実際に自分がキッチンで主導権を握るようになると、ヴィンセントと自身の腕前を比べてしまうことになるのだ。

 言葉を飾るのもわずらわしいからハッキリ言うが、俺はたぶん、かなり器用な側の人間なんだと思う。対人関係における立ち居振る舞いや話術だけではなく、いわゆるこういった家事方面にも。

 特別に練習したり研究したりするわけではないけど、大抵のものなら作れるし、味も悪くはないと思う。

 だが……

 

 だが、やはり『違うんだなァ』と感じるのは、皆の反応を見て、だ。

 今朝の残り物を温め直し、他にも手早くおかずを作って食卓に並べる。

 育ち盛りの兄さんやカダたちの食べっぷりは見ていて気持ちのいいものだが、やはりヴィンセントの出す料理に対するような感動はないらしい。

 出された物を、がつがつ食べ、皿をカラにしてはくれるものの、『そこまで』なのである。

 ヴィンセントのときは、まずほとんど全員が『おかわり!』というし、ヴィンセント自身もそう言われたときに、すぐに出せるような心づもりでこさえているのだ。

 まだ、並べる料理の組み合わせも、歯ごたえや温度など、料理そのものの味の他に、食べる人間が食事を楽しめるような工夫がしてある。贅沢な材料をふんだんに使うわけではない。

 ほとんどが買い置きのしてある野菜と肉、青物市場で並ぶ鮮魚……特筆すべき物はないのに、まるで魔法の杖を一振りした、『幸福』のスパイスがかかっているのだ。

 やれやれ、早いところ復帰して欲しいよ、ヴィンセント。

 実は俺はコンプレックスの塊なんだからね。

 それに、俺自身、一日も早く、彼の手料理を楽しみたいと思っていたからだ。