〜 子猫物語 〜
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
<7>
 
 ヤズー
 

 

 

 

 

 

 

 子猫の人格が入ってしまった『人間のヴィンセント』は、ほとんど『長身の赤ちゃん』になってしまった。

 こればかりは無理もないことだ。

 猫ちゃん自身がまだ子供だったし、勝手の分からない人間の身体では、不自由この上なかろうから。

 シャイで人見知りのくせに、甘えっ子でいたずらっ子のヴィン猫ちゃんだ。

 ヴィンセントの中に入った今、普段は大人しくしてくれているが、食事や風呂などの面倒は見てやらないといけない。食事はともかく、風呂はシャワーのお湯が顔にかかるのを嫌がってだだをこねたりする。

 人の面倒を見るより見られているほうがお似合いの兄さんでは、ひとりで世話をしきれず、食事の介添えや風呂は俺が担当している。カダが手伝ってくれるから、負担にはならないが、そろそろなんとかしなければ……とは思う。

 ちなみに、夜は兄さんが一緒に寝ようとするらしいのだが、ヴィンセントの姿をした猫ちゃんは、あまり兄さんには懐いていないようなのだ。

 

 お腹一杯に食事を終えたヴィンセントが……もとい、猫ちゃんが入っている『ヴィンセント』が、ゆらゆらと席を立った。そう、まだ人間の姿で直立することさえ、上手にできないのだ。

 どこに行くのだろうと心配したが、居間のほうへ向かった。

 あの子はサンルームが気に入りだったから、そっちのベッドで昼寝でもするのかもしれない。それなら心配はいらないだろう。あそこには危険な物はなにも置いていないから。 さてさて、今度は兄さんとカダたちの分だ。

 俺はパタパタとスリッパの音を立て、午後の仕事を残す彼らの食事の仕度に回った。

「みゅ? みゅ……ッ」

 ヴィンセント猫ちゃんが、なにやら鳴いているが、今はちょっとごめんよ。

 彼らは食事を取ったら、また配達に行くんだから。

 ちらっと目線だけ送って、『ヴィンセント』の様子を見てみた。ソファでだらしなく寝転がっているセフィロスの側に居る。

 彼と話でもしているのだろうか。セフィロスが「なんだ?」とか、声を掛けているのも聞こえてきた。

 いやいや、会話が成立するはず無いのだ。猫ちゃん入りのヴィンセントは、人間の言葉がしゃべれないのだから。

 だが、セフィロスは人間のヴィンセントも、子猫のヴィンちゃんも気に入っている。邪険にすることはなかろう。

 

 まぁ、危険がなければ、まったくかまわないのだが。

 そんなふうに思い、目線を作業中のサラダに戻そうとしたとき、信じられない光景を見た。

 

 

 

 

 

 

「ぐはッ!」

 という、苦鳴はセフィロスのものだった。

「ちょっ…… ヴィンセント!?」

「あ〜、ダメダメ、ダメだよ、ヴィンちゃん!」

 食卓に着こうとした兄さんが、慌ててヴィンセントを引き留めに走った。

「てめェ! なにしやがるッ!」

 セフィロスの怒声。

 なんと、あろうことか、『ヴィンセント』はセフィロスの腹に足をかけ、彼の身体の上に登ろうとしていたのだ。しかも何の邪気もない笑みを、ニコニコと浮かべて。

 セフィロスが呻いたのは、思い切り腹を踏みつけられたからだ。いくら体重の軽いヴィンセントとはいえ、大人の男性である。さすがのセフィロスも昼食直後の奇襲には悲鳴も出ようというものだ。

「ヴィンセントッ! この野郎ッ!」

「セフィ! 中身は子猫なんだから怒鳴んなよ!」

「う〜……ゅう〜……」

 セフィロスに怒鳴られ、兄さんに制止されて、猫入り『ヴィンセント』は不満そうに鼻を鳴らせた。もちろん人間の声帯だから、おかしなカンジに掠れてしまっている。

「どうしたの、ヴィンちゃん? セフィロスになにかされたのか?」

 むくれたヴィンセントの肩を抱き、兄さんが至極紳士的にそう訊ねた。

「このアホチョコボ! 見てわかんねーのかっ! 何かされたのはオレ様のほうだろうがッ!」

「う〜……にゅ〜……」

 ひどく不満げに、『ヴィンセント』は……いや、ヴィンセントの姿をした子猫ちゃんが鳴いた。

「……ああ、そうか」

 ふと、俺は気付いた。

 一方、人間のヴィンセントが入っている子猫は、この状況をハラハラしつつ見守っていた。ヴィンセントも彼の行動が理解できたのだろう。だが、それを言葉にして説明できないのが歯がゆそうだ。

「なに、なんなの、ヤズー」

 と、兄さん。

「わからない? ヴィンちゃん、いつもゴハン食べた後、セフィロスのお腹の上で寝てたじゃない。そこが落ち着くんだよ」

 珍妙な表情のセフィロス。

 無理もないけど、今の『ヴィンセント』は、子猫ちゃんなのだ。他意もなく『いつもと同じ事をしよう』としただけだ。

「あ、そ、そういえば、確かに…… でも、今は無茶でしょ」

「そりゃ、俺たちから見ればそうだけど、『ヴィンセント』は今、子猫ちゃんなんだからね。是非の区別なんかつかないよ」

「……『子猫ちゃん』って言い方やらしー」

「仕方ないじゃない、本当のことなんだから。あー、ヴィンセント、じゃなくて、ヴィンちゃん。ごめんね、今は無理だよ。またちっちゃくなったら、乗せてもらいなさい」

 俺はふてくされてしまった、『ヴィンセント』を宥めてやった。

 ようやくショックから立ち直ったのか、セフィロスが身体を起こした。

「……ああ、アレか。そういうことか」

「ゅ〜……みぅ〜……」

「なぜか子猫ちゃんはあなたに懐いているからね〜。まぁ、家に居る時間がヴィンセントの次に長いから無理もないのかもしれないけど」

 兄さんを傷つけないように、フォローを入れてみたが、セフィロスはあっさりと

「人徳だ」

 と宣った。

「よく言えるよね〜」

「本当のことだろ。チビ猫はオレ様のことが大好きなんだからな。なぁ、『ヴィンセント』」

「ゅ〜……みゅぃ!」

「『ヴィンセント』っつーな! 中身はあくまでもヴィンちゃんなんだからな! たまたま猫がアンタに懐いてるってだけのことだろ! 昔っから、アンタって小動物にやさしかったもんね!ケッ!」

「そうだろ。子チョコボにもやさしくしてやったよなァ」

「誰のこと言ってんだ、セフィ!コルアァァ!」

「あー、もうちょっとよしてよ、ふたりとも。子猫が心配して見ているでしょ」

 と、向かいの椅子で、不安げにこの様子を見守っていた黒猫を指して、言葉を添えた。

「あー、わかったわかった。気にするな、ヴィンセント」

 セフィロスは、黒猫ちゃんに向かってそう言った。この人なりに、ヴィンセントに気を使っているのだろう。

「おまえの中身は、ちゃんとチビ猫だとわかっているからな。アホチョコボじゃあるまいし、オレ様が猫相手に本気で怒るはずがないだろう」

「アンタ、ケンカ売ってんの、バカセフィ!」

 胸ぐらを掴むような兄さんの剣幕に、猫の入ったヴィンセントが怯えて身を縮こませた。

「みゅ! うにゅ〜……」

「あ、ご、ごめ……、ちがうんだよ、ヴィンちゃんに怒ってるんじゃなくて……」

「ゅ〜 ゅう〜……」

「い、いや、あのね、セフィがね、ひどいこと言うから……」

「にゅ〜……」

 『ヴィンセント』は兄さんから距離を取ると、ソファの後ろに隠れてしまった。

 こんな動作は、まるきり猫そのものだ。いや、もちろん中身は子猫ちゃんなのだが、実際に目に映るのは、俺と同等の長身であるヴィンセントなのだ。アンティックドールのような不思議な美貌をもつ佳人なのである。

 その美人が、恋人である兄さんを避けて、ソファの後ろに子供のようにしゃがみこんでいる。

 ヴィンセントと入れ替わってしまった子猫ちゃんも可哀想だが、泣き笑いのような表情で、必死に弁解している兄さんも不憫だ。彼なりに一生懸命気を使っているのだろうが、もともと機微に長けているとはいいがたい人だから……

 

「兄さん、兄さん。大丈夫。後は俺たちでするから。ちゃんと宥めるからさ。兄さんは『本物のヴィンセント』と一緒に部屋で休んでなよ」

「ヤズー…… でも……」

「ヴィンセントも兄さんと一緒に居るのが一番安心するんだからさ」

「う、うん……」

 聡いヴィンセントが、俺の言葉の真意を読みとってくれたのだろう。

 彼は猫の身体を借りて、「みゅぅ……」とやさしく鳴いた。

「ヴィンセントになっちゃった子猫ちゃんもストレス溜まってるだろうけど、ヴィンセント本人だって、不安なのは同じなんだから」

「う、うん。わかったよ。……じゃ、ええと……『ヴィンセント』? 一緒に行こう?」

 おずおずと声を掛けた兄さんの気持ちを引き立てるように、ヴィンセントはぴょんと起き上がって、その懐に飛び込んだ。甘えるように喉を鳴らす。

「みゃぅ……」

「ヴィンセント……やさしいね。自分のほうが大変なのに、俺の気持ち、心配してくれるんだね」

「みゅ〜……」

 少しだけ、しんみりとした調子でいうと、気を取り直したように彼は顔をあげた。

「じゃ、ゴメン、ヤズー。俺、ちょっと休んでるね。『ヴィンセント』も眠そうだし、部屋でごろごろしてるワ」

「うん、そうしなよ。カダたちが配達から帰ってきたら、声を掛けるから。それまでゆっくりね」

「サンキュ」

 ちょっとだけ笑ってみせて、兄さんは黒猫を抱いて部屋へ引き取っていった。

 

 ……やれやれ、前途多難、だ。

 俺は彼の姿が見えなくなってから、そっと息を吐き出したのであった。