ハローベイビー
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家&おまけの『うらしま』〜
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 クラウド・ストライフ
 

 

 

 

 

 

 

 

 幸いにも赤ん坊は長椅子の上でぐっすりと眠ってくれた。

 だが、人間の赤ん坊よりも小さなヴィンは、ぐったりと横たわったまま微動だにしない。リクライニングチェアにクッションを敷きつめ、小さな身体を置いている。

 名を呼んでやると、弱々しく目を開け、口を微かに開くが鳴き声は出なかった。

 やはり子猫は弱いのだろう。もともと普通の猫よりも繊細な子なのだ。

「ヴィン、つらいのかな……俺がもっと早く気付いてれば……」

「おまえのせいではない、クラウド……」

 そう言ってくれるヴィンセントのセリフも心許なげだ。

「……子猫?」

 低くつぶやいたのは『セフィロス』であった。

「う、うん……うちで飼ってる子なの。俺が拾ったんだ」

「……ひどく弱っているようだな」

 上から覗き込み、彼は低くつぶやいた。

「さっきの部屋……揮発性の塗料から有毒ガスが出るように仕掛けてあったんだよ。俺たち、みんな寝ちゃったから……この子だけ、さきに気付いて起き出したみたいなんだけど……やっぱ子猫だからな……人間より弱いんだ……」

「ヴィン……すまない……」

 横たわった猫に顔をよせ、ヴィンセントが苦しげに謝罪した。

「…………」

 『セフィロス』がツ……と音をたてずに立ち上がった。子猫の傍らに行き、そのまましゃがむ。そう、ちょうどヴィンセントと頬が触れるほどの場所だ。

 急に近寄られて驚いたのだろう。紅い瞳が瞠られ、その拍子に涙が床にこぼれ落ちた。

「『セフィロス』……?」

「クラウド……室内に非常用の酸素ボンベがあるだろう。捜して持ってこい」

「え……あ、う、うん……」

 言われるがままに、俺はファーストキッドを見つけだした。火事の時に使う、ミニボンベと包帯や白布などが入っている。

「『セフィロス』、これ……」

「口元に当ててやれ」

「え? 口元?」

「子猫の顔の前にあてろと言っているのだ」

「う、うん……」

 俺は言われるがままにボンベを手に取る。

「……あ……クラウド、私がやろう」

「うん、お願い」

 栓を抜き、シュウシュウという音を立てるそれをヴィンセントに手渡す。彼は言われたとおり、ヴィンの口元にそれを宛った。もちろん人間用のものだからサイズが大きい。宛てるとは言っても、小さな顔の前に置いてやるくらいのことしかできない。

「そ、そうだよね……少しでも綺麗な空気のほうが……」

 俺は自分自身をなぐさめるようにそう言った。

 両手足を投げ出し、身じろぎひとつしない小さな身体……それが命のない抜け殻になるのに、そう時間がかからないと……そう感じていた。

 

 

 

 

 『セフィロス』はスッと片手を持ち上げ、子猫の身体に触れた。

 ……いや、触れるか触れないかのあたりに、手の平を固定したのだ。氷のような双眸が何かに集中するように閉じ合わされる。

「セフィ?……何してるの?」

「…………」

 『セフィロス』は沈黙を守った。

 ずっとそのままの姿勢を保っている。

 時間にしては、2,3分のことだったと思う。

 彼はごく自然な動作で、手を下ろすと、ふぅと吐息した。緊張を解くような……そんな雰囲気だ。

「……目を覚ませ……いい子だな……」

 『セフィロス』がつぶやいた。

 今まで耳にしたこともないようなやさしい声音であった。ちょっと驚いてしまって、彼の横顔を盗み見る。彫刻のように端正な白い顔に、うっすらと笑みが浮かんでいた。

「……これの名は……? なんといったか……」

「あ、この子? ……『ヴィン』っていうの。ヴィンセントの『ヴィン』」

 その答えをどう思ったのか、『セフィロス』は黙ったまま頷いた。

「『ヴィン』……目を覚ませ……」

 ヴィンの黒い毛…腹から胸のあたりに白い指先がやわらかく埋もれる。 

「『ヴィン』……」

「…………ゅ」

 微かに開けた口元から、小さな歯が見えた。

「…………ゅん」

「あッ……い、今、ヴィン、動いたよね!」

「しっ……クラウド……声が大きい」

 ヴィンセントが小さくたしなめる。

「……さぁ、いい子だな……」

 やさしくやさしく『セフィロス』が促す。

「……みゅ……」

 今度こそはっきりと子猫はみじろぎした。掠れてはいるが声を出して、呼びかけに応えようとする。

 ふたたび、『セフィロス』が片手を差し出し、今度はゆっくりと小さな身体を撫でた。本当にそっとそっと、やさしく……だ。

「……みゅ……みゅん……」

 数度、撫でてやった後であったろうか。

 ヴィンがころりと寝返りをうち、じゃれつくように『セフィロス』の指に両手をからめた。にわかには信じがたい光景に、俺たちは呆然と目を見張ることしかできなかった。

 

「……よかったな……もう、大丈夫だ……」

 『セフィロス』がつぶやいた。

 俺に言ったのでもヴィンセントに告げたのでもない。子猫自身にそう語りかけた。

 いつもは冷たい光をたたえた両の瞳が、愛おしげに細められている。

 ……彼は本当にもうひとりの『クラウド』を、弄んでいた人物なのだろうか? とても同一人物には見えなかった。

「よしよし……ああ、もうボンベはいいだろう」

 『セフィロス』が言った。

 小さな頭を、彼の人差し指で撫でる。ヴィンがいたずらっぽくそれに、噛みつこうとした。

 きっと俺とヴィンセントは、じっと彼を凝視していたのだろう。

 ふとこちらの視線から顔を背け、用件は済んだとばかりに立ち上がってしまった。もちろん、相変わらず一言も発さないままだ。彼の指で遊ぼうとしていたヴィンが、不満げに「ふゅんふゅん」と鼻を鳴らす。

「………………」

「すごい……セフィ……どうやったの? あんなに弱っていたのに……」

 俺はそう訊ねた。

「……別に」

「『別に』じゃないじゃん。もうダメかと思った。すごくぐったりしてたし……」

「……生き物にはもともと『生きよう』とする力があるだろう。それを少しばかり手助けしてやっただけだ」

 無愛想に彼はそう答えた。

「す、すごいよ、セフィ……剣の腕も立って、頭良くて、こんな力も持ってるなんて最強じゃん」

「治癒は自らには施せない……自身に使えなければ無意味だ」

 素っ気なく彼は言い捨てた。

「そんなことないよ! だって、こうやって猫でも何でも……助けてあげられるってことでしょ?」

「……くだらんな」

「そんなことないもん!」

 声を上げると、『セフィロス』はギッとにらみつけてきた。機嫌を損ねるわけにはいかない。俺はあわてて他に言葉を捜す。

「……で、でも……アンタ、霊感だってあるし!」

「霊感?」

 嫌そうな眼差しでこっちを見た。

「だ、だって、時空の繋ぎ目とか見えんでしょ?」

「……おまえが鈍感なだけだ」

 さもくだらないと言わんばかりに、とうとう彼はそのまま口を噤んでしまった。