〜 CAIN 〜
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
<35>
 
 支配人???
 

 

 

 

 

「バ……バカな……ッ!」

 私は思わず口走っていた。

 取り出す……?

 なにをいっているのだ、ヴィンセントさんは……?

 エンシェントマテリアを『持参』したのではなかったのか?

「ここにあるから…… 間違いない、ネロ」

「……ああ、なるほど。やはり、ね。そういうことでしたか」

 ネロが頷いた。 

 だが、その様子はむしろ落胆……というべきか、少なくともこの状況を歓迎しているようには見えなかった。

「電話で話すことはできなかった。……腹の中でどういう状態になっているのかはわからない。だが、ここに在るということだけはわかっている」

「その感覚がある、ということですか?」

「そう。存在しているのが、私にはわかるのだ。……だから、ここから取り出してくれればいい。約束は果たせるはずだ……彼を解放してくれ」

「腹を切って、それを取り出したら…… 貴方はどうなるのですか?」

 ネロが尋ねた。

 ヴィンセントさんは頭を振る。

「……わからない。だが、マテリアは間違いなくここにある。……彼を帰してやってくれ」

 それしか言葉を知らぬように、彼は私の解放を繰り返した。

 

 ……なぜ、ヴィンセントさんがセフィロスに、エンシェントマテリアを渡さなかったのか……

 何故に自ら、危険を顧みずこの場所に足を運んだのか……

 

 このときになってようやく私は知ったのだ。

 

 もし、ヴィンセントさんが、事前にセフィロスに真実を告げたなら、今の状況はあり得なかっただろう。

 彼が私と引き替えにヴィンセントさんを差し出すはずがない。

 いや、違う。私よりもヴィンセントさんが大切だからという理由ではない。もし立場が逆だったとしても、セフィロスはそうすることはなかっただろう。

 彼は、誰かを犠牲にするという発想をしない人なのだ。それならば、どうにかして他の方法……そう、自ら危険に飛び込み、障壁を打破する道を選択する。

 私よりも遙かにセフィロスの身近にいるヴィンセントさん。その彼がセフィロスの思考を読めないはずがない。

 だからこそ、彼はセフィロスを欺き、自分ひとりで決着を付けに赴いたのだ。

 腹の中に、ネロの欲するエンシェントマテリアを抱いたまま……

 

「……そうですか。そうでないならよかったと……ずっと思っていたのに……」

「…………」

「……残念です。ヴィンセント・ヴァレンタイン」

 ひとつ吐息すると、ネロがつぶやいた。それは決して嘘偽りではなく、彼の本心だと感じた。

「……本当に……残念です」

「……そうだな」

「医師を呼ばねばなりませんね。……できることなら貴方を死なせたくはない」

「……ネロ。すべておまえのいうとおりにする。だから彼は放してやってくれ。……頼む」

 ヴィンセントさんは頭を下げた。

 ネロは少しだけ驚いたようだった。それを隠すために、ひょいと眉をあげてみせた。

「……いいでしょう。貴方を信用しますよ、ヴィンセント・ヴァレンタイン」

「感謝する……!」

 控えていた近侍に向かって、ネロは片手をあげてみせた。ふたりの部下が、観音開きの扉を片方ずつ開け放つ。

「……貴方はもう自由です。お帰りなさい」

 ネロは、立ちつくす私に低くささやきかけた。

 

 

 

 

「ヴィンセントさん……ダメです」

 私が口にできた言葉は、そんなつまらない一言であった。理知的どころか、うつけもよいところの……そんな意味のない言葉……

「なにを……言い出すんですか…… 肉体から摘出する? 馬鹿な……」

「……いいんだ。自分の意志で決めてきたことなのだから」

 そういうと、彼は小さく微笑んだ。本当に……ほんの少し口元を持ち上げるだけの……

 だがアンティックドールのように、冷たく整った顔は、たったそれだけで、ふんわりと花開いたように見えた。

「わ、私にはエンシェントマテリアというものが、どういうものなのかはわかりません。ですが、腹を裂いて取り出すなど…… そんな……気違い沙汰ではありませんかッ!」

「……聡明な君のことだ。どういうものかわからずとも、それを有する私が、普通の人間ではないと気付いているだろう?」

「そんなことは関係ないでしょうッ!? 普通だの、普通じゃないだの、どこで区別を付けるのですか!? あなたのことを異常だなどと思ったことはないッ!」

「………………」

「エンシェントマテリアだのなんだのということは知ったことではありません! あなたはごく当たり前の人間です。心根や容姿は普通の方以上に優れているでしょう!? どうして自らを大事になさらないのですッ!」

「……ありがとう。ありがとう、君。そう言ってもらえることがどれほど嬉しいか……」

「当然のことを口にしているだけです。誰かのために自分を犠牲にするのをあたりまえなどと思わないでください!」

「……ん……そうだな。君のいうとおりだ。……私は君のために犠牲になった……などとは思っていないんだ」

 今度こそ、彼は誰の目にもハッキリとわかるように笑った。

 もとが無表情で、常人離れした容姿の持ち主のせいだろう。そんな表情をすると無彩色の絵画が、一瞬で色を得たように輝いて見えた。

「ヴィンセント……さん……?」

「私は犠牲になるつもりで来たのではない。……私はセフィロスを心から想っている。そんな彼が愛した君を、必ず彼の元に帰してやりたいんだ。……これは私自身の意志だ。どうしてもそうしたいんだ」

「ヴィンセントさんッ! それは違うッ! セフィロスはあなたを求めるわけにはいかないから! だから代わりに……!」

 尚も言葉を重ねようとする私に、ヴィンセントさんはただ静かに頷き返すだけだった。

「ありがとう、君。……昔は……ふふ……ひどく自分を不幸だと感じていたものだが……今はまったく心持ちが異なる。……どれほど私が自身を幸せと思っているか、君にわかるだろうか……?」

「ヴィンセントさん……?」

「さぁ……早く戻りたまえ。君を必要とする人たちのところへ」

「ヴィンセントさんッ! いけませんッ!」

 私は踵を返そうとする彼の腕を取った。

 だが、それはネロの部下によって遮られた。

「……ヴィンセントさんッ! ダメですッ! セフィロスが……セフィロスが本当に必要としているのは……ッ!」

「……どうか気を付けて」

 ヴィンセントさんはそういった。

 『セフィロスのことを頼む』とか『家の者たちによろしく』とか、後事を託すような物言いをしないのが、かえって彼の決意のほどを表すようで胸が痛んだ。

「ヴィンセントさんッ! ヴィンセントさんッ! 待っ……」

 無情に、目の前で扉が閉まる。

 視界の奥に、少し悲しそうな……だが満足そうに微笑するヴィンセントさんの残像が残っていた。

「ヴィンセントさんッ! ヴィンセントさんッ!」

「……ネロ様の命令です。こちらへ……」

「放してくださいッ!!」

「いけません。こちらへ」

 そのまま屈強な近侍に腕を取られ、屋敷の門の外へ連れ出される。

 ネロの部下は私に対する人間違えを形式的に謝罪し、さっさと引き上げてゆく。

 

 目の前で綴じ合わされた重厚な門を、私は絶望的な気持ちで見つめた……