〜 CAIN 〜
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
<26>
 
 支配人???
 

 

 

 

「ヴィンセント・ヴァレンタイン……ですって……?」

 ゆっくりと……味わうように、ネロがその名を反芻した。

『……ああ。ネロ……、だろうか?』

 マイクから流れ出る声は、落ち着いた響きを持っていた。

「……ええ、僕です。ヴィンセントとおっしゃいましたか?」

「……ああ」

「貴方が……ですか? 確かに?」

『そうだ。……おまえの手元にいる人は無関係の人間だ。即刻解放して欲しい』

「………………」

 ネロは初めて私を見るように、こちらを眺めた。

『ヴィンセント・ヴァレンタインは私だ。……彼は巻き添えを被った被害者だ』

「……ヴィンセント・ヴァレンタイン……」

『……もちろん、ただでとは言わない。……言っても聞いてもらえないだろうから』

「………………」

『エンシェントマテリアは私が持っている』

「……では<セフィロス>が預かったというのは……」

『それは本物ではない。……エンシェントマテリアは私が持っている。それと引き替えに彼を解放してほしい』

「……なるほど」

 ゆっくりとそう言うと、ネロは唇を舐めた。軟体動物のような紅い舌がチロチロとうごめく。

「……これはとんだ茶番を演じてしまったようですね。僕の勘違いということでしょうか」

『……そちらに居る青年と私は容姿が似ている。だが、彼はごく普通の健全で健康な人間なのだ。巻き込まれて迷惑しているはずだ』

「……そうですか」

『それからもうひとつ。セフィロスたちがそちらに向かっているのは知っているだろう』

「ええ、ええ。今、モニターに写っていますよ」

 茶化すようにネロが言った。

『エンシェントマテリアが目的なら、彼らも無関係なはずだ。私がそちらに到着したら解放してほしい』

「……貴方は、今、どこにいるのです? ヴィンセント・ヴァレンタイン」

『……自宅だ。そちらの場所がどこかは解らないが、そう遠くはない場所なのだろう。すぐに向かう』

「……けっこう。貴方、おひとりで来てくださいね」

『……もちろんだ』

「では、申し上げます……」

 ネロは屋敷の場所を、一度だけ告げた。

 窓から見える景色に、どことなく覚えがあると思っていたら、なんのことはない。ノースエリアの繁華街から、少し内陸に入った場所……

 神羅全盛期に、富裕層向けの屋敷や別荘を造っていた地域である。

 

「……では、お待ちしています、ヴィンセント・ヴァレンタイン」

『ネロ。もう一度言っておく。そちらに居る青年には傷ひとつ付けるな。もし万一……』

 ヴィンセントさんの抑揚のない声が、一瞬途切れた。そして再び聞こえ始める。

『……彼に怪我をさせたり……死に至らしめるようなことがあれば、私にも考えがある』

 ネロはすぐに返事をしなかった。

 電話を握りしめたまま歩き出す。私の側へ……静かな足取りで。

「……ええ、いいでしょう。こちらの『ヴィンセント』も美しくて聡明で僕の好きなタイプです」

『……その場所に彼が居るのだな?』

「ええ、今、僕のとなりに座っていますよ。真っ青な顔をしてね」

 嬲るようにネロが言った。

『……君! 君ッ! 申し訳ない……! すぐに解放させるから……! 今少し、気を確かに持って待っていてくれ……! 必ず行くから……!』

 これまでとは打って変わって、ヴィンセントさんが感情を抑えきれぬように叫んだ。必死に……宥めるような縋る口調で。

『君には本当に申し訳なかった……! もう少しの辛抱だから……! 必ずセフィロスのところへ返してあげるから……ッ!』

「ヴィンセントさん……!」

 電話の向こうの人の名を、思わず呼びかける。

 もちろん、彼には届いていないだろう。

 ……ヴィンセントさん……! どういうつもりなのだろうか……?

 エンシェントマテリアとやらは、セフィロスが預かっていたのではなかったのか……?

 なぜ、わざわざヴィンセントさんが……? しかも私と引き替えとは…… いったい何故、この場所にマテリアを持って来るのが、ヴィンセントさん自身でなければならないんだ?

 セフィロスに任せておけばよいではないか。どうみても、彼のほうがヴィンセントさんよりも頑健だろうし、ヤズーにクラウドさんまで一緒に居る。

 セフィロスが本当に守りたいのは、私ではない。ヴィンセントさんのはずだ。

「……ええ、お待ちしておりますよ、彼と一緒に、ね」

 そういうと、ネロは素っ気なく電話を切った。

 私と彼の間で、不可思議な沈黙が流れる。

 

 間隙の後、ネロがフッ……と自嘲した。

「……どうも。ご迷惑をお掛けしたようですね」

「……まったくです」

 私は素直にそう答えた。迷惑を被ったのは事実なのだから。

「……ヴィンセントさんがここへいらっしゃるなら、セフィロスたちを呼び寄せる必要はなくなると思うのですが?」

 無駄だろうと思いながらも、私はそう言ってみた。

「ククク……貴方はあずかり知らぬことでしょうが、個人的怨恨があるのです。セフィロスらが居なくなれば、ヴィンセントもこの土地に拘る必要はなくなるでしょう。一石二鳥とはこのことです」

「………………」

「……ご安心なさい。まもなくヴィンセントがこちらに来るでしょう」

「彼が来たら私を解放してくださるのですか?」

「……そういう約束をいたしましたからね」

「あなたの『約束』は信用なりません」

 私は自らの置かれた立場を考慮せず、軽蔑を含んだきつい口調で言い放った。ネロはわずかに眉を寄せたが、その言葉については何も言い返しては来なかった。

「……貴方は、本当によくヴィンセント・ヴァレンタインに似ておりますね」

「………………」

「彼が髪を切るとこんな雰囲気になるのですねぇ……」

「私などより、ヴィンセントさんの方がよほどお綺麗かと思います」

 本心から、私はそう答えた。

「いえいえ……貴方もとても美しいですよ。是非とも僕と一緒に来て欲しいくらいに」

「……戯れ言を」

「本気です。貴方さえ、そう望めば……」

「……私はあなたのことが嫌いです」

 この言葉を、ここまでハッキリと告げた相手は今までいなかった。

 一瞬剣呑な空気が我々の間に流れる。

 殴られるかと思ったが、ネロは小さく苦笑しただけであった。

「……やれやれ、ずいぶんとキツイ物言いをされる。こんなふうに拒絶されたのは生まれて初めてです。僕自身はそれほど頭の悪い人間でも、容姿が劣るわけでもないと思うのですが」

「……そういうことではありません。中身の問題です」

「ふふふ……中身、ねぇ」

「………………」

「つれないことを…… ヴィンセントと誤ったとはいえ、もう何度も肌を重ねた仲なのに」

 私の反応を楽しんでいるのだろう。

 彼の部下が何人もいる研究室の中で、彼は口に出して嘲笑した。

「……貴方も悦んだでしょう?」

 と嬲るように言葉を重ねる。

「心と体は別のものです。少なくとも私にとっては」

「……ほぅ?」

「これまででも、好いてもいない人間と何度も寝てきましたよ。それでも興奮することはできる。……あなたもその中のひとりだというだけです」

 きっと、ヴィンセントさんあたりが聞いたら、赤面どころか軽蔑に値するような言葉を吐いてやった。ネロに言わされたわけではない。私のほうが、彼に向かって『言ってやりたかった』のだ。

「……これはこれは……ヴィンセントと誤ったどころではなく、貴方はとんだ拾い物だったのかもしれない」

「………………」

「貴方という人にあらためて興味が沸きました」

「不快です」

「その切り返し。頭の回転は本物のヴィンセント・ヴァレンタインよりもよいようですね」

「やめてください。ヴィンセントさんに失礼です。……彼は私のことを、健康で健全と言って下さいましたが、遙かに中身はヴィンセントさんのほうが、清々しく澄んだ方です。私のような人間と一緒にされるのは迷惑でしょう」

「……ふ……ふっふっふっ…… まぁ、いいでしょう。話の続きは『ホンモノ』がこちらに到着してからにいたしましょうか」

 気障な仕草でひょいと手を挙げてみせると、ネロはそのままコンピューターのプレートのほうへ、歩いて行ってしまった。

 彼が離れると同時に、背筋に冷たい汗が伝わる。

 それは、この数分、いかに私が緊張していたかを物語る証しであった。