ロマンティック・ブルーの恋
<1>〜<3>
 
 
 
 

 

「はぁぁ〜.....

 その青年は、深い吐息をついた。両手を顎にあてがい、半眼で格子の外を見ている。

「ふぅぅ〜.....

 ふたたび、ため息である。

 見れば、なかなかの美男子だ。

 呉の美周郎には及ばずながら、すらりとした長身に、男らしく整った容姿。いまだ幼さが残るが、そこがまた、女心をくすぐるというものである。

「はぁぁ〜.....

 この人、趙雲、字を子龍という。五虎将軍のなかでも、もっとも長く蜀に仕えた猛将なのであった。

 

.....子龍、ため息、二十回目」

「なんだ、なにか悩み事でもあるのかな」

「腹が減ってるんじゃねぇのか、雲長の兄貴」

「おまえじゃないんだぞ、翼徳!」

 めずらしい動物でも観察するように、扉の外からのぞき見しているのは、ご存じ、関羽雲長と張飛翼徳である。

.....なにをしておられるのです? 雲長殿、翼徳殿」

 涼やかというより、むしろヒヤリと冷たい声は、軍師諸葛亮孔明のものであった。

 丈なす黒髪、切れ長の双眸、雪のごとき玉肌に、女性顔負けの美貌。

 黙って立っていれば、綺麗な人形のようなものである。だが彼は、黙って立ってなどいなかった。口を開けば、マムシの毒よりどぎついセリフが飛びだすのも、これまたお約束のキャラクターなのであった。

「あ、ああ、軍師殿か。いや、さっきから子龍がため息ばかりついているのでな。いささか気になって」

 関羽が言った。

「ほぅ、子龍殿が.....いったいどうされたことでしょう.....

 まさに柳眉といった風な形のよい眉をひそめ、孔明が心配そうにつぶやいた。言葉だけではないようだ。美しき軍師殿は、素直で誠実な美丈夫を、心から気に入っているのである。

「ああ、だから腹でも減っているのかって.....

「翼徳! いや〜、どうも、呉のお客人らがおいでになられてから、子龍の様子がおかしいのですよ」

「呉の貴人殿らがおいでになられてから.....? なにかあったのでしょうか.....?」

「いやぁ、それがしらには心当たりはありませんが」

「そうですか、けっこう」

 もうこちらに用はないとばかりに、蜀の天才軍師殿は、くるりときびすを返すと、迷いもなく子龍の部屋の扉を叩いた。

 

「子龍殿、わたくしです。入りますよ」

 うってかわってやさしげな声で呼びかける。

「あ、ああ、軍師殿.....それがしになにか?」

 あわてて立ち上がる趙雲子龍。急いで孔明のために席をととのえる。武骨者ながら、このあたりの気遣いが可愛らしいのだろう。諸葛亮は、やわらかく微笑むと、

「おかまいなく.....

 と、言った。

「子龍殿.....なにかお気掛かりがおありなのでしょうか?」

「え、え、ぐ、軍師殿、な、なにを.....

「先日来、気鬱の病を患っているご様子.....わたくしは心配で夜も眠れませぬ」

 たっぷり睡眠をとっているにも関わらず、何の迷いもなくこういうセリフを吐くのが軍師諸葛亮なのである。

「え、そのような.....軍師殿」

「わたくしの目は節穴ではございませぬよ。大切なあなたになにかあったのかと思いますと.....

「は、はぁ、申し訳ござません」

 つい、謝ってしまう趙雲子龍。

「おやおや、困りましたね、子龍殿。責めているのではございませんよ。なにかご心配事がありますのなら、この孔明にご相談いただけませんか?」

 姉のごとき優しさで、孔明はささやいた。紅くなった子龍の顔をのぞき込む。

 

「相変わらず、子龍には甘いなぁ、軍師殿」

「子龍と殿は特別なんだよ、翼徳」

 と、外野が言い合うのも無視して、諸葛亮はなおも趙雲子龍に言い寄った。

「ね、子龍殿.....?」

「あ、はぁ、心配事.....というのではないのです」

「おや、そうなのですか.....では、どういったことなのでしょうか?」

.....あの.....軍師殿.....

 ごくりと唾を飲み込むと、子龍は年上の美人の顔を盗み見た。

「はい.....?」

 

.....あの.....周瑜殿って.....かっこいいですよね」

 その一言で、外野を含んだその場は、カキーンと凍りついたのであった。

「ほ.....ほほほ.....

 孔明は扇を口元にあてがうと、少女のように軽やかに笑った。

「これはこれは子龍殿.....異なことをお聞きするものです」

 華奢な首をかしげて、孔明が続ける。

「あなたのような純粋な若者が、あのような下半身から先に生まれてきた厚顔無恥な女ったらしを好まれるとは.....冗談にもほどがあります」

 こういうセリフを、玉石のごとき玲瓏な微笑をたたえながら、口にするのだからたまらない。扉の向こうの関羽と張飛も、度肝を抜かれて呆けている。

「ぐ、軍師殿.....そんな.....周瑜殿はそんな人じゃない.....です.....

 趙雲が言った。口答えなどしたことのない青年である。たどたどしく孔明の言を否定した。

「おやおや、いったいどうされたというのですか?」

「このたびのご来訪でよくわかりました。お側で話をさせていただくと.....あの方はすごい」

「はぁ.....?」

「並外れた知将でありながらも、剣を手にすれば鬼神のごとき武人なのです。赤壁でも孫権殿をお守りしつつ、単騎で曹操軍と鉾を交えられたという」

「私はひとりで風を呼んだのですが.....

「やはり周瑜殿こそ、男の中の男! 俺のあこがれの人です!」

 子龍は叫んだ。百戦錬磨の猛将にしては、形のよい指を胸の前で組み合せている。もちろん目線は斜め45度だ。気の毒に孔明の功績については、気に留めてもらえなかったらしい。

 

.....おいおい、子龍のヤツ、完全にいっちゃってるぜ、雲長の兄貴」

「そうだな.....周瑜か.....まぁ、子龍の言っていることも間違っちゃいないんだが.....どーも、あいつはわけわからんところがあるからな」

「あ、おい、軍師殿が!」

 どんと張飛がかたわらの関羽をつついた。

「子龍殿.....悪いことは申しません。あの人はね.....あなたがお心を寄せるような.....そんな高潔な御仁ではないのですよ。あなたの側には玄徳様に雲長殿、翼徳殿、それにこのわたくし.....孔明がいるではございませんか」

 一部をやや強調して孔明は言った。

「も、もちろん、皆様方のことは、親とも兄とも思い、ご尊敬申し上げております!」

 がっしと拱手して子龍はしゃっちょこばった。真面目な青年なのである。

「ならば.....なにも周瑜殿に憧れることもございませんでしょう?」

「い、いえ、ち、違うのです! 皆様方と周瑜殿は.....

「そりゃ、いっしょにされちゃたまりませんねぇ」

 という孔明のつぶやきは、幸いにも趙雲の耳には入らなかった。

「周瑜殿は武と知を兼ね備えた、すばらしい軍人なのです! おまけにあのように、じょ.....女性にもてて.....

 もごもごと口ごもるが、やはり年頃の男性としては気になるのだろう。

「はぁ.....ですが、公瑾殿には奥方がおられるではございませんか」

「こ、『公瑾殿』! う、うらやましいです、軍師殿! それがしも.....それがしも一度でいいから、『公瑾』と字でお呼びしたい〜!」

 健康的な頬を、さらに赤く染めて、趙雲子龍は身もだえした。

.....そういや、子龍って、ミーハーだったよな.....翼徳」

「まぁな、兄貴。だが、今回はちよっと相手が間違ってるぜ」

 この場合、扉の向こうの二人組がもっとも冷静で、適切な感想を持っていたといえよう。

 趙雲子龍は、なおも情熱的に言い募った。

「わかっています.....わかっているのですっ! 軍師殿! 何の取り柄もないこんなそれがしが、周瑜殿に憧れてもしかたがないということなどっ.....

「いえ、そういうことではなく.....

「なにもおっしゃるな、孔明殿! それでもそれでも、それがしは、周瑜殿を見つめることをやめられないのです! せめてここに滞在しておられる間だけでも、少しでも長く、あの方の側にいたい.....

「お、お待ちなさい、子龍殿.....

「わかっているのです、むくわれぬ思いだということはっ! 今は.....今はどうぞなにもおっしゃらないでくださいーっ!」

 そう叫ぶと、若き熱血青年は、扉を叩きつけて飛び出していった。涙の跡が、宝石のようにきらきらと輝いていた。

 とりあえずの被害は、張飛が鼻の頭をぶっつけたくらいであったが、後に残された白羽扇の麗人は、ぼうっとしたまま、椅子に腰掛けていた。

.....お、おい、軍師殿.....子龍.....飛び出していっちゃったぜ」

「お、追わなくてよいのですか?」

 口々に言うが、孔明のショックは深かったようだ。

.....バカな.....わたくしの大切な子龍殿が.....あのようなわいせつ物を.....

 しかし、口の悪さは直らない。

「な、なぁ、雲長の兄貴、今度は孔明殿がイッちゃってるぜ」

.....あ、ああ、翼徳、よほどショックだったんだろうよ」

 

「バカな.....ああ、でも、こうしてはいられません!」

 そういうと、がばりと孔明は立ち上がった。

「雲長殿! 翼徳殿! 周瑜殿はいずこにおられますっ!」

「へっ.....?」

「恥知らずの美周郎ですよ! 子龍殿になにかしたら、わたくしが捨て置きはいたしません! どこにいるのですっ!」

 叱りつけるように尋ねる。

「へ、あ、ああ、そういや、朝飯の後、中庭を散歩するって言ってたよな」

「あ、ああ、翼徳の言う通りだよ」

「中庭ですね.....! ではこれにて失礼!」

 足音も荒々しく、孔明は子龍の私室を走りだしていった。

.....な、なに.....いないではありませんかっ」

 いらだたしげに孔明は地団駄を踏んだ。もちろん周瑜が散策していたという中庭に来ているのだ。

「通ったあとにはメスネコでさえ孕むというわいせつ物ですからね! わたくしの大切な子龍殿になにかあったら.....

 言わずもがな子龍は男性である。子の孕みようはないのであるが、孔明の言葉を訂正するものはいない。賓客を迎える東の棟の中庭は、瀟洒な造りで広いのだが、今、その場には孔明ひとりしかいなかった。

「もう、あの男はうろちょろと!」

 ちっと舌打ちする。かわいい弟分にかかわることだ。いつもは冷静な軍師殿も必死である。

 

「あれ〜、そちらにおられるのは諸葛亮殿でござるかな」

 おっとりとした呼びかけ声は、呉の孫権。呉国の君主である。周瑜が言うように、いかにも「お坊ちゃん」という印象を受ける男だ。

「あ、ああ、これは孫権殿。つかぬことをうかがいますが、周瑜殿はいずこにおられますかな?」

 とりあえず、物言いだけは丁寧に孔明が言った。

「ああ、公瑾? さっき部屋に戻ったようだぞ。そうそう、あんたのところの若い将軍が遊びに来ていたようだが」

 最後の一言に、さーっと足下から血の気が失せていく。それと反対に頭の中がカッと熱くなった。

「さ、さようでございますか、所用あるゆえ、これにて失礼!」

 長衣の裾を翻して、東の曲に突っ走る孔明。蜀の天才軍師諸葛亮がここまで走り回ることなど、戦の最前線においてさえ、あり得なかったことだろう。

 

 ダンダンダン!

 いささか乱暴なノックだとは自覚しながらも、孔明は手の力を緩めることが出来なかった。

(ああ、こうしている間にも、わたくしの大切な子龍殿が、あの悪魔の手にかかっていたとしたら.....

 強引な妄想の展開をする。おのれこそ、周瑜に「悪魔」と評されているのだが、幸いにしてその噂は孔明の耳には入っていなかった。

 ダンダンダンダン!

「い、いないのですかっ? 孫権の言葉は虚言だったとでも? ま、まさか.....あやつもグルになって、わたくしの子龍殿を.....

 物事を悪いほうへ悪いほうへと考えるのは、唯一、孔明と周瑜に共通したキャラクターであった。

 ダンっダダダダダダ、ダン!

 ついには、扉が壊れんばかりの力で叩きだす孔明であった。

 

「う、うわ、お、お待ちください、い、今、開けますから.....

 なんと返事をしたのは、その部屋の主ではなかった。先ほど、孫権が「年若い将軍」と評した、趙雲子龍その人だったのである。

 おどおどとした様子で、そっと扉を開ける。重厚なドアはギィィと重い音を立てて、ゆっくりと開いた。

 

「し、し、し、し.....子龍殿っ!」

「うわっ! ぐ、軍師殿っ?」

「し、子龍殿! そ、その姿はいったい.....!」

 あろうことか趙雲子龍は、袍はそのままに、ズボンだけを脱いだ、なんともみっともない格好であった。この当時、今風の下着などない。簡素な下衣のそのまた下は、大切なものが放り出されている状態である。

「し、子龍殿.....ああ.....遅かった.....遅かったのですね.....

 苦鳴を漏らすと、諸葛孔明は、その涼やかな双眸から、はらはらと涙を流し、がくりと膝を折った。

「わわわわっ! ぐ、軍師殿っ! なにを泣かれますっ?」

「あの時、すぐにお止めしていれば.....まさかこんなにもはやく.....

「ぐ、軍師殿? おっしゃる意味が.....

 わたわたと、おのれよりも華奢な肢体の年長者を気づかう、趙雲子龍。

「もうよいのです。口に出すのもつらいでしょう.....いい子ですね」

「は、はぁ?」

 いきなりぎゅっと抱きしめられ、趙雲はドングリ眼を白黒させた。

「にっくき色魔.....周瑜公瑾はどこにいるのです!」

「こ、孔明殿! お待ちください、なにか誤解.....

「周瑜っ! 周瑜公瑾はどこじゃ!」

「うわぁっ、軍師殿!」

 血相を変えた軍師孔明に必死にとりすがる子龍。下半身がノーディフェンスになっているが、それどころの騒ぎではなかった。

 

「どうした、騒々しい.....ああ、孔明殿ではないか」

 柳眉をひそめて周瑜がやって来た。中でつながった隣室からひょいと戻ってきたという風情だ。

 朱色を基調とした豪奢な長衣に身を包んだ呉の美周郎は、その名に恥じぬ美丈夫である。

「あ、ああ、周瑜殿! 軍師殿はなにか誤解.....

「ええい、放しなさい、子龍殿! おのれっ!恥知らずの周瑜公瑾! いざ天誅っ!」

 そう叫ぶと、孔明はトレードマークの白羽扇を、周瑜の顔面にぶっつけたのであった.....