白 昼 夢<4>
 
 
 
 
 

 

 

 

 

「うーす。梅やん、月森どうよ?」

 ガラリと勢いよく扉を開けて土浦が入ってきた「らしい」。というのは、あの後、すぐに梅田先生は、書類の作成のために、パソコンの前に移動してしまったのだ。必然的にベッドの上には、俺ひとりが取り残される。

 保健室の最奥に位置する個別ベッドから、戸口のあたりは不可視だ。

「あ、やべ。うるさかったかな」

 扉の音のことを言っているのだろう。気を使う男なのだ。

「だいじょーぶだろ。さっきのぞいたら目、覚ましてたし。あ、また寝ちゃったかも知れねーけど」

「なんだよ、それ」

「迎えが来るまで寝とけって言っといたからさ」

「そうなのかよ……悪りぃコトしたな」

 『そんなことはない!』と叫んで飛び出していきたいところだ。だが、そんなことをしたら、まるで俺が盗み聞きをしていたようではないか。ここは、あえて息を潜め、見守ることにする。少し時間をおいて起きていけば、梅田先生のいうとおり、回復しきれず横になっていたということで話が通じるだろう。

「おまえが気にすることじゃねーだろ」

「そうはいくかよ。あいつ、俺の目の前に居たんだぜ? そんなのに気ィつかないで、のんきに手当してもらって……ところで、ホントにただの貧血なんだろーな? マジで悪性ウィルスとかじゃねぇんだろうな?」

 土浦の口調に、思わず吹き出しそうになる。あわてて口元を押さえたから、聞こえはしていないだろう。いささかうんざりとした様子で、梅田先生が言い返しているのが聞こえてくる。

「あのな〜、いるわけねーだろ、そんなもん。オマエ、TVの見過ぎじゃねーの?」

「アンタ、仮にも保健医だろ。もうちょい親身になれや」

「ハァ……やれやれ。もういいだろ、土浦。月森連れてさっさと帰れ」

 そろそろ出て行き時だろうか。俺は、音を立てずに上半身だけ起きあがらせると、サイドテーブルに置いてある鏡に手を伸ばした。せめて髪くらい見苦しくないように整えておきたい。

 

「だって、まだ寝てんだろ。目、覚めたら起きてくんだろうし」

「起こせよ。もう下校時刻だぜ」

「梅やん。アンタ、マジで保健医としての自覚が足らねーよ。具合悪くしてる奴にやさしくしてやんのは基本だろ」

「っつーか、オマエ、優しすぎ。病弱な彼女の心配する年下オトコみてーだぞ」

「あ、あんたなぁ! ったくバカ言ってんじゃねーよ、教師がよ」

 土浦の受け答えは、毒づくという風ではなく、どちらかというと焦っているようだ。それにしても梅田先生、言葉は選んで欲しいものだ。俺は女性ではないし、病弱でもない。

 

「なんだ、おまえらそうじゃねーのか? せっかく仲間が増えたと思ったのにな」

 梅田先生は、妙なことを言った。あまりに重大な内容であるにもかかわらず、驚くほどあっさりと。

 そういえば、クラスの女子が興味深げにそんなことを噂していた。他人の嗜好にはあまり関心がなかったので、先ほどまで思い出さなかったが、土浦との会話から、それが実話であったと確認された。本人が言っているのだから疑いようがないだろう。

 柚木さんといい、同性に恋愛感情を抱く人間は、案外多いのかも知れない。

 

 案の定、間が空く。

「……なんだよ、仲間って。ああ、アンタ、そっちの人?」

「そう、そっちの人」

「ふーん。ま、いいんじゃねーの。人それぞれだから」

 土浦が言う。嫌悪感をあからさまにするかと思ったが、意外にも素っ気ない物言いだ。

「ガキのくせにわかってんじゃねーか」

「ガキのくせにはよけいだぜ。でも、ま、あんたにホメられてもな」

「月森とおまえも、その素質バッチリだと思ったんだけどなァ」

 勝手なことをいう梅田先生。

「あんたなぁ。なに勝手なこと言ってんだよ。月森につまんねーこと言うんじゃねーぞ」

「ほら、それそれ。そーゆーところが素質なんだよ。おめーは。でも、マジで、あいつがオマエのこと好きだったらどうする?」

 ちょっ……梅田先生? いったい彼はなにが言いたいのだろうか。室の奥の方とはいえ、俺が同じ部屋にいるのを失念しているのか。まさかそんなはずはあるまい。

「……どうすんだろうな」

 ぼそりと応えた土浦の声は、低くてよく聞き取れない。

「なに、気持ち悪りぃ!とか言わねーの?」

「まぁ、フツー男に言われたら、そう思うんだろうな」

「…………」

「でもよ、そーゆーのって、人それぞれじゃん。俺はぶっちゃけ女のほうがいいけど、男が男好きになっても、それはそれでしょうがねぇよな。あ、月森がそうだって言ってんじゃねーぞ。あいつ、メチャクチャ女にモテるし、ありえねーよ」

 今、俺の名前を口にしたのか? いったいどういう話の流れで? ベッドを取り巻くカーテンのおかげでところどころしか聞き取れない。

「ふぅん。大人だねぇ、土浦くん」

「茶化してんじゃねーよ、なんだよ、せっかく人がマジメに答えたってのに」 

「悪りい悪りぃ。でも、おまえが偏見もってないっての、わかってよかったよ」

「フン」

「さて、もういいだろ」

 

 こちらに足音が近づいてくる。硬い上履きの音は梅田先生のはずだ。

 後からバタバタと、せわしなく追いかけてきてるのは土浦だろう。ああ、俺の名前が出たあたりから、ほとんど会話を聞き取ることが出来なかった。もともと土浦は声が低いし、梅田先生も大きな声で話す方ではない。

 なんとなく心許なげな気持ちでいると、すぐ近くで彼らの足音が止まった。

 

「月森、どうだ、具合は」

 シャッと音をたてて、カーテンが開けられる。

「おい、ちょっと梅やん。いきなり開けてんなよ。……月森?」

「あ、ああ」

 俺はいささか慌てた。さきほど鏡を覗いたので、目も当てられないほど見苦しくは無かろうが。

「すみません、梅田先生。ご迷惑をおかけしました」

「いやいや。ああ、顔色も良くなってきたな。ま、今日は早いトコ寝ちまうんだな」

「はい……。 あ、あの……土浦、すまない、ケガ人の君をわずらわせるなんて」

 いざ、本人を目の前にすると、気の利いた謝罪の言葉が出てこない。

「そんなこと別に気にすんな。どうだ、もう歩けそうか?」

「ああ、もちろん。悪かったな、こんな時間にわざわざ……」

「気にすんなっつってんだろ。じゃ、梅やんまたな。俺、コイツ送っていくから」

 あたりまえのようにそう言う土浦。

「い、いや、大丈夫だ、ひとりで帰れるから」

「なにエンリョしてんだよ、柄じゃねーぞ、月森。ほれ、鞄とヴァイオリンどこだ? 保健室に持ってきてんだろ」

「が、柄じゃないって、そ、それじゃまるで俺がいつも図々しい態度をとっているようじゃないか」

「おう、土浦、荷物は奥のロッカーだ。そう、その手前のな」

「はいよ」

 俺の抗議を、あっさりと受け流し、土浦はそれこそ遠慮のかけらもなくロッカーを開ける。もっとも俺の私物……特にヴァイオリンを取り出すときは、見ていて滑稽なほど丁寧な動作であったが。

 それらを机の上に置くと、いささか乱暴な動作で、「そら」と制服のジャケットを放り投げた。外してしまったスカーフを付け直そうとすると、

「帰るだけなんだから、いいだろ、そんなの。首もと締め付けない方がいいぜ」

 と言われた。

 その言葉に従ってもいいのだが、タイを閉めないのはどうも落ち着かない。そこでスカーフをピンで留めることはせず、ゆるく巻き付けておくだけにしていた。

「行こうぜ、月森」

「あ、ああ」

 さっさと保健室から出ていってしまう土浦。俺はあわてて、鞄とヴァイオリンを引ったくり、梅田教諭に一礼すると、急いでその後を追った。

 

 夏至を過ぎたとはいうものの、これから夏がやってくる。時刻は既に午後6時を回ろうというところだったが、まだあたりは明るい。

 

 ……思えば、普段、土浦の方から、積極的に話しかけて来てくれることはまずない。そのせいだろうか、こんなにもかまわれると、嬉しいと同時に少しだけ戸惑ってしまう。

 

「あ、悪い。歩くの速いな、俺」

 土浦が言った。俺が小走りになって追いついたのに気がついたのだろう。バツの悪そうな顔をした。

「いや、そうじゃないんだ。大丈夫だ」

「おい、月森、鞄よこせよ」

「え?」

「おまえは気をつけて、ヴァイオリンだけ持ってろ」

「い、いや、平気だ。自分で……」

「だから、ヴァイオリンは持ってろって言ってんだよ。具合悪いときは、素直に他人の好意に甘えるべきだぜ」

 保健室にいるときより、少し優しい声で、噛んで含めるように土浦が言った。