DOLL
<1>〜<4>
 
 
 

 

    

.....以上が神子様のお言葉です。本日、神子様は禊に出ておられます。八葉の皆様方にはお身体をおやすめくださいますよう」

 とうてい十才の少女とは思えぬ物言いで、藤姫は言った。彼女は星の一族の血をひく巫女姫である。

 ところは右大臣邸の西の対屋。こちらが星の一族藤姫らと、八葉の仮の宿となっている。彼らは個別に帰るべき場所を持っており、神子に従うときのみ、こちらの室を使うらしい。

 とはいうものの、長らく行動を共にするにつれ、八葉の結束は強まり、ことに年少組、天真やイノリ、詩紋らはほとんどをこの右大臣邸の西の対屋で過ごすようになっていた。

 

.....泰明殿?」

...............

.....あの.....泰明殿?」

..........え?」

「いかがなさいましたの? ぼんやりとなさって」

 困惑したように藤姫は言った。

.....いや.....

「あの.....お身体の具合でも? この前の一件以来、お心ここにあらずといったご様子で.....

「問題ない」

 泰明は言った。その言葉少ない返事に、藤姫もそれ以上、なにもいうことはできなかった。

「そ、それでは皆様、お呼び立ていたしまして.....本日はこれにて解散にいたしましょう」

 彼女のその言葉に、面々が立ち上がる。

 頼久などは、すぐさま持ち場に戻ろとし、情熱家のお坊様、永泉ちゃんに追いかけられている。詩紋は藤姫となにやら談笑し、それに藤原鷹道が加わる。もっとも鷹道はあいさつをした程度で、すぐさま内裏にとって返したようであるが。

 なにやら心配顔なのは橘友雅である。想い人の覇気のない様子に不安が隠せないのだろう。

 

.....泰明殿?」

...............

.....泰明殿? 本当に気分が悪いのではないのかい?」

..........うわっ!」

 まるで厨房でごきぶりを見たように、泰明は悲鳴をあげて飛び上がった。

「泰明殿? いかがなされた?」

「な、なんだ、急に側によるなっ! お、おどろくではないか!」

「いや、さきほどからお声をお掛けしていたのだが.....

「そ、そんなこと、知らん!」

 悲鳴のようにそう言うと、今度こそ安倍泰明は、ものすごい勢いで広間を歩き去った。

 あの不可思議な世界.....聖地と呼ばれる場所から還ってきて、三日後の出来事であった。

 

「ありゃりゃりゃ〜。なーに、怒らせてんの、友雅」

 のんきに顔を出したのは、天真であった。ちなみに彼は時空旅行の同行者ではなかった。

「いや、別に.....ただお声をお掛けしただけなのだが.....

「まー、おめーの場合、ただ声かけられただけでも孕みそーだからな〜。耳元でささやいたんじゃねーのか?」

「下品な物言いをしないでくれたまえ、若者」

 コホンとひとつ咳払いをすると、友雅はつぶやいた。今度はいささか神経質な声になる。

.....君は気づかないか、天真。泰明殿.....こちらの世界に戻ってこられてから、いつもと微妙に異なるとは思わないか?」

「んー。そー言われてみればな〜。ますます口数が少なくなったな〜。前はギャグ飛ばしたら、とりあえずキッツーイつっこみくらいは入れてくれたんだがな〜。最近はシカトしてくれちゃうからなぁ〜」

 思案顔で天真は言った。

.....君に聞いた私が愚かだったよ」

「じょーだんじょーだん。泰明、確かにちょっと変だわな。神子と散策に出てもほとんど明後日向いちゃってるそうだぜ。これまでは使命一筋だったろ。こりゃ、なんかあったのなーって」

「なにかって、なんだい?」

 友雅はたずねた。

「オレが知るかよ。なんかあったとしたら、その聖地とかいうところに行ってたコトに関係するんじゃねぇの? それ以外に特別変わったことなんてねぇじゃん?」

.....たしかにね」

「なぁ、もうちょいくわしくその時の話、聞かせろよ」

「それなら永泉ちゃんにおまかせ〜。あのねぇ、天真殿。知らない世界に行ってとってもとっても不安だったわたくしを、頼久殿は必死に元気づけてくれたのです 夜、わたくしが眠れないときは、永泉ちゃんのおとなりで.....

「永泉様ーっ! そ、そのようなお言葉、いかに戯れ言であっても.....

「いや〜ん、もう、この、て・れ・や・さ・ん

「おめーら、うっせぇよ!」

 招かざる乱入者に天真がストップをかけた。「聖地」という見知らぬ場所での冒険談は、天真自身本当にきちんと聞いてみたかったのだろう。

「邪魔すんな。マジな話なんだからよ。おめーらだって、泰明、ちょいといつもと違うと思うだろ?」

「泰明殿がか、天真? .....そうか? いささかお元気がないとは思うが」

「ニブ勘男はすっこんでろ。その原因が、聖地とやらに関係があるんじゃないかと踏んでんだよ。だから、友雅の話をな。ちょいと聞いてみたいと思ってな」

.....そういうことならば、私の局に行こう。ここはいささか日差しが強い」

 友雅が言った。銀糸の折り込まれた扇で、夏の虫を追い払う。その様がまるで一幅の絵のように優美で、艶めかしかった。

「まぁ.....何から話していいのやら.....

 ふぅと深く吐息する橘友雅。このしぐさひとつで、宮中の女房ならば魂をすっ飛ばしてしまいそうであった。しかしここにいるのは、バリバリの八葉。男軍団である。そんな風情を解しはしない。

「おっさん、さくさく行けよ、さくさくよ。せっかく、アンタの心配事の相談にのってやろーってのによ」

 なぜかイノリまで混じっている。天真が呼んだのだろうか。

「はいはい。わかっているよ。.....だがね、私も時空旅行などという洒落たものは、後にも先にもあの時一度きりだったからね。正直、なにがなにやらわからなかったのだよ」

「まー、そりゃそーだろーけどな」

 天真が相づちを入れた。

「泰明殿についてのことであれば、私よりも頼久や永泉様のほうがよくわかると思うのだよ。というのは、私があちらの世界に飛ばされた時間と、泰明殿たちのそれとは、いささか誤差があるようでね。私が意識を取り戻したときには、泰明殿も永泉様、頼久も、とうの昔にあちらの世界にいらしたのだからね」

「そうそう。永泉ちゃんたちが向こうの世界で、おめめを覚ましてから、友雅殿にお会いしたのは、一週間後くらいでしたかしら」

「へぇ、そりゃけっこう時間差があんな」

 イノリが頷いた。

「ああ、そうなのだよ」

「そんじゃ、永泉や頼久はなにか気づいたことはないのかよ?」

 天真がたずねる。

 頼久は正座を崩さぬまま、眉間に深いしわをよせた。数刻ののち力いっぱい

「ございません」

 と、こたえる源氏の若大将であった。

「ったく、おめーは心の底から使えねー男だな! じゃ、永泉は?」

「さようでございますねぇ。まぁ、わたくしどもも、ずっと泰明殿とご一緒していたわけではないので、よくわかりませんが.....

 そう前置きをすると、永泉にしては思案顔でこたえた。

「泰明殿を看病してくださった方.....クラヴィス殿とおっしゃる方なのですが、その方と泰明殿はずいぶんと仲がおよろしかったようです。わたくしたちの面倒を見てくださったリュミエールという御仁が、そうおっしゃってました

....................

「おい、友雅、おめー、顔怖いぞ」

.....そうかい?」

「うーん、確執のツボはその男にあんのか!」

 天真はふむふむと頷いた。しかしどこか面白がっているように見える。

「やめてくれたまえ。確執などなにもないよ。皆の前で口にするのもどうかと思っていたのだが、泰明殿と私はあの事件をきっかけにしっかりと結ばれたのだよ」

「うっそ! やっちゃったの?」

 と、イノリ。

「マジ〜? おめーのことだから、どうせ無理強いしたんだろ!ってゆーか、まさか、ゴーカンじゃねーだろーな! そりゃ避けられるわ!」

 天真が叫んだ。

「無体な真似を.....!」

 くっ!と唇を噛んだのは、源氏の若大将である。

「ホントですね、頼久殿! 友雅殿、無理やりそんなことをするんて、見損ないました! もう、永泉ちゃんはお口を聞くのもイヤですぅ!」

.....君たちは何やら誤解しているようだね。そういう意味合いではないよ。私たちの心はしっかりと結ばれたと言っているのだよ」

 ため息交じりに、友雅が説明した。それならそれで、

「なんだ、つまんねー」

 とか、平気でぬかす天真&イノリであった。

.....つまりね。私はあの方に避けられるいわれはなにもないはずなのだが.....

「なるほど.....確かにお話を伺うと、泰明殿のご様子は面妖ですね。ならばこの頼久が、それとなくお訊ね申し上げましょうか」

「いや、君にはそれとなくなどという芸当は無理だと思うよ」

 友雅が言った。

「それもそうですね」

 と、頼久はあっさりと認めた。

「やれやれ.....繊細で気難しい御方だというのは、重々承知の上ではあるが、さすがの私も落ち込んでしまうよ」

 まんざら冗談でもなく、友雅は言った。ぼんやりと銀の扇を眺める姿がいささか疲れてみえる。

「まーまー、そんなにがっかりすんなよ。泰明はまだ人慣れしてねーんだよ。俺たちがフツーにできることでも、あいつにとっちゃ、一苦労ってことだってあるだろうぜ」

 天真が言った。天真なりに友雅を元気づけようとしているのだろう。それに年上の男は、力なく「ありがとう」とだけ応えた。

 

 陽が暮れる。

 思いのほか、長々と会話していたらしい。永泉が内裏に戻ると言い出すと、皆立ち上がった。

「私も今日は内裏に上がろうかな」

 友雅がつぶやいた。

「まぁ、ずいぶんと久方ぶりですね、友雅殿」

 永泉が言った。ここ最近、友雅は、泰明のこともあって、大半をここ右大臣邸の対屋で過ごしていたのだ。

「ええ、今夜は管弦の宴がございましてね。帝にもお誘いを頂きまして、久々に御所に上がろうと思います」

「ふふ、友雅殿がいらっしゃれば、兄帝も喜びます。永泉ちゃんはお勤めがあるので行けませんが、楽しんでいらしてくださいませね」

.....はい。少し疲れましたので.....気晴らしには.....

 友雅はそういうと、身支度があるといって、早々に右大臣邸を辞した。

.....愛しい人.....あなたのお心がわからないのが.....こんなにもつらいことだとはね.....

 牛車に揺られながら、友雅はひとりごちた。

 「あいつ、そーとー参ってんな」

 だれにともなく天真がつぶやいた。

 友雅と永泉が場を辞すと、その室は妙に無機質で味気ない空間になったように感じられた。

「友雅殿がか? そうなのか?」

「おめーなー。どーしてそこまで鈍いンだよ、頼久」

「まーまー、天真。.....なぁ、オレはさ、よくわかんねーけど、泰明、友雅のこと、けっこう好いてんじゃねぇかと思ってたんだけど?」

 イノリが言った。すぐさま、天真が相づちを打つ。

「俺もそう思う」

「そうなのか?」

 と、頼久。

「頼久〜」

 天真&イノリの声がそろった。

「おめー、そこまで鈍いと犯罪だぞ!? とりあえずこの中で一番年上だろ? 少しは恥ずかしいと思え!」

「む.....だが、私は泰明殿が、友雅殿にたいして恋人のように振る舞っているところなど、見たことはないぞ。おまえたちだとてそうだろう?」

「あのなー、頼久。あのカタブツ陰陽師が、あからさまにそんな態度、とるわけないだろうがよ。ま、俺もデキてるとまでは思わないけど、とりあえず、泰明にとって、友雅は、『その他大勢』ではないと思うぜ」

「ああ、なんとなくなー」

 イノリも天真の言葉に、思案深げに頷いた。

 そのときである。ふわりと御簾が持ち上がり、うわさの当人がそこにたたずんでいた。

「う、うわっ! 泰明!」

「びっくりしたー!」

 思わず声をあげる天真に、イノリである。

.....驚いたのはこちらの方だ。.....なんだ、打ち揃って.....

 冷ややかな口調で泰明が言った。

「いいえ、泰明殿こそ、こちらの局に何用でございますか? あいにく主の橘友雅殿は不在ですが」

 四角四面な頼久の物言いを、茶化されたととったのか、泰明はむっつりとして言葉を続けた。

.....私は藤姫に頼まれた巻物を持参してきたまでだ。先日まで私が拝借していたのでな。所用はそれだけだ。帰る」

「まーまーまー!」

 すぐさまきびすを返そうとする泰明を、天真とイノリがひきとめた。

「まーまーまー! 安倍の陰陽師どの〜っ!」

「おかしな呼び方をするな、天真」

「いやいや、失敬。せっかく来たんだ。茶でも飲んでいけ」

.....局の主がいないのに、勝手に茶を振る舞うのか、おまえたちは」

「いや、友雅はさっきまでいたんだぜ。でも具合が悪いらしくてな、自分の屋敷に引き取った」

 天真が言った。イノリはハッと顔を上げたが、天真の意図に気づいたのか、相づちをうってくり返し、うなづいた。

「あ、たいしたことはないと思うんだけど。なんでも今夜宮中で帝主催の宴があんだと。そいつに呼ばれちまってるから、夜までは休みたいって言ってたな」

.....そう.....なのか。本人が大事ないというのならば、そうなのだろう.....

 心ここにあらずと言った風情で、泰明はうなづいた。

「なぁ、泰明」

 声を掛けたのは天真であった。

「なんだ」

「ずばっと聞かせてもらうけどよ」

.....なに?」

「おまえさ、とりあえず友雅のこと、きらってるわけじゃないんだろ?」

.....何の話だ」

「そーゆー話さ。まぁ、おめーがそういった人付き合いに慣れてないっつーのは、あいつもわかっちゃいるんだろうけど、さすがに今日は、激烈気落ちしてたみたいだぜ」

 沈欝な声音を装って、天真は言った。

.....なにを気落ちするというのだ」

「決まってんだろ。おめーの態度にさ」

...............

「お、おい、天真。橘の少将殿は別に.....

「いーから」

 イノリが何か言おうとした頼久を遮った。

「まぁ、人様の色恋沙汰をとやかくいうつもりはねぇんだけどよ」

.....色恋沙汰だと?」

「とりあえず聞けや。ま、一応仲間っつーか、ダチっつーか、ヤツとはそんなカンジだからさ。事情知ってて何もしてやんないうちに自殺でもされちゃ夢見が悪いしな」

.....なに?」

「あー、たとえばの話だから。でもほらあいつ基本的に無気力人間だからさ〜。生きてんのもカッタルイってカンジじゃん?」

...............

「あいつ、おまえのことになると、マジモードだからさ」

...............

「他人事だから、ほっとけってゆーんなら、そりゃそーなんだけど。嫌いなら嫌いってはっきり言ってやったら?」

.....別に口に出して告げるほど、嫌いというわけでは.....

 泰明がぼそりと口を挟んだ。それに覆い被せるように天真が続ける。

「そーゆー意味で好きじゃないなら、そう言ってやれってこと。期待もたせてやって、やっぱそーじゃないんだよってーのは、相手の気持ち踏みにじるよーなモンだろ」

「オ.....わたしは.....

「俺に言うなよ。どんな言葉を告げるにせよ、まっすぐに相手に向かっていってやるべきだと、俺は思うぜ」

.....天真」

「あ、説教ぽくなってたらワリぃ。ただ俺はさ、泰明も友雅も好きだからさ。少し気になっちまってな.....フッ.....

 天真は言った。そして白い歯を見せてさわやかに微笑んだ。

 

 『ウマイ!』

 イノリは、心の中で拳を握った。

 

.....いや、オレの方こそ.....

 照れを苦笑で紛らわせて、泰明がつぶやいた。

.....その.....天真。おまえはずいぶんと物事をよく見極め、いろいろと考えてくれているのだな.....

「フッ.....まぁな」

.....軽はずみでちゃらんぽらんで、糸の切れた風船のような男かと思っていたのに.....見直した」

 どこまでも率直な泰明であった。

「泰明殿の言われる通りだ。私もおまえという人間を誤解していた。ひどくいいかげんで、自己中心的でわがままなやつだと見あやまっていた。すまなかったな、我が友よ」

 さらにそれに輪をかけた頼久が、さわやかに賛辞を贈った。

...............

.....オレも宮中の管弦の宴に行くことにする。晴明さまに言いつけられていたのだが、気が進まぬゆえ、ご辞退申し上げるつもりであったが」

「それがよろしいでしょう、泰明殿!すぐに車を用意させます!」

 武士頼久が立ち上がった。

「ああ、すまぬな、頼久。では私はもう行く。.....皆がそのように私に気を使ってくれていたとは.....本当に嬉しく思う。.....感謝している」

 やや一方的に盛り上がると、泰明もすぐさま立ち上がった。管弦の宴に出席するというのならば身支度もあるのだろう。軽く一礼して退室する泰明。

 後には天真とイノリが残された。

 

「そっかー、そーだね〜、オレってフーセンだったのか〜。へー」

.....お、おい、しっかりしろよ、天真!」

「まーな。フーセンだわな! ちゃらんぽらんしてっしな! いーや、フーセンはちゃんぽらんじゃなくて、フワフワじゃー!」

「うわーっ! 逆ギレすんな、天真ーッ!」 

 なぜかもっともダメージを受けている、年少二人組であった.....

 陰陽師の身分というのは、宮中において、それほど高いわけではない。

 その道で高名な安倍晴明でさえ、序列で言えば中級貴族というのがよいところだ。しかし、彼の行う陰陽の術は、当時の文化風習において、なくてはならないものであり、また「不思議」をあやつるところから、一般貴族の身分序列とは、別扱いに目されていた。

  

 安倍泰明が、やや遅れて、主、晴明とともに、席に着いたのは、演目も半ばに進んだころであった。相変わらずの遅参にも、なんらおとがめ無しなのは、やはり陰陽師という身分が、そうさせているのだろう。

 

.....泰明、今宵は侍従の薫りが強いね.....

 さやと、長い黒髪を玩び、安倍晴明は、泰明の耳元にささやいた。

「はぁ.....

 意味も解さず返事をする泰明。そんな弟子を愛おしげに見遣ると、晴明は小さく微笑んだ。

 

.....友雅.....今日の演目で、ヤツの琵琶があったな.....

 泰明は、上級貴族達が集う上座を、きょろきょろと眺めやった。篝火が焚かれているとはいえ、夜闇の視界は芳しいものではなかった。

.....泰明? どうかしたの?」

「晴明様.....いえ、別に.....

「ふふ、誰かさがしているのかな?」

 心を見透かすような、師匠の言葉に、泰明はあわてて前を見た。

 

 

「三位の少将.....橘友雅殿による琵琶の合奏.....演目、青海波.....

 わぁっと、華やいだ声が上がった。それは男性のものだけではない。御簾のうちにいる、御所の女房の感嘆の吐息である。

 白舞台の上に、琵琶の友雅を中心に、合奏の琴の弾き手が二名.....いずれも若い青年だ。それから篳篥は大納言みずからが務めるという。

 しろがね色の地に、鈍色の大柄な百合。内衣には濃い紫を着けている。ただ人が身に付けたなら、いっそ軽薄で失笑をかうような、今様の華々しい衣装を、友雅は何の飾り気もなく、さらりと着こなしていた。

 

(まぁ.....橘の.....今宵はまたずいぶんとお美しいこと.....

(ですが、ずいぶんと久方ぶりですわね.....今上の再三のお召しにも、お上がりになられませんでしたのに.....

(やはり琵琶は橘様ですわ.....まぁ、夢のよう.....

(光源氏もかくやといった風情でございますわね.....

 

....................

「おやおや、泰明.....君のお友だちは、ずいぶんと人気があられるようだね」

.....別に友人というわけでは.....

 泰明は、眉をひそめてそう言いかけた。かまびすしい女達の声が、たいそうにカンに障る。またそう自覚すること、それ自体が、いっそう気分を不快にするのであった。

「同じ使命を帯びた.....仲間です」

 泰明は言った。晴明はそれにまた笑みを返した。

 いつもは背に流したままの、ややくせのある長い髪を、キチリと結い上げ烏帽子に納めた友雅。衣装の好みも、心のうちを見せないかすかな微笑も、いつもの彼と変わらないのに、宮中の名だたる貴族が集まった、この華やかな舞台で、得意の琵琶を堂々と披露する彼は、たいそうまばゆく、またりりしく見えた。

 

 演目が終わっても、みな、ひと言も発せずに、夢見るように現代の光源氏を見つめている。

 その中、橘友雅は、いささかそっけないとも言えるものごしで、一礼し、席を辞した。

「ああ.....今宵は、これを聞けただけでも来てよかった.....ねぇ、泰明.....

...............

「君はそうは思わなかった?」

.....私は楽など.....よくわかりませぬ」

 泰明はつぶやいた。

「頑なな、可愛い私の人形.....君は感情の表現がまだまだ下手くそだね」

 晴明の指先が、ついと泰明の頬をすべった。白い指先が濡れているのを泰明は信じられぬ気持ちで眺めた。

 

.....少し、休みが入るようだね。ちょうどいい.....

「晴明様.....?」

「私はもう帰るとしよう。年寄りはこの時刻になると、たいそう眠くなってしまってね」

「では、私もお供いたします」

 泰明はすぐさまそう言った。

「いや、それには及ばないよ。君はちゃんと私の側に侍っていてもらわないと」

.....え?」

「中座したとしれると、うるさい輩もいるからね。式を残していく」

 晴明はそういうと、音もなく立ち上がった。背の半ばでひとつにくくった長い髪が、さらりと風に遊んだ。

「お師匠さま.....

「君はゆっくりしてきなさい。おやすみ、泰明」

 数刻後、泰明のとなりには、かわらずに晴明が座っていた。

 もちろん、それは彼の残した偽物の晴明.....式である。