悪魔のKISS
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
<8>
Interval 〜03〜
 セフィロス
 

 

 

 

 

 

 

「……君がいなくなるのは……もう……嫌だ……」

 パタパタと涙が落ち、膝で握りしめたヴィンセントの両手を濡らした。

 

「……おい、泣くな。まだそうと決まったわけではない」

「……でも……」

「あくまでもオレの予想だ。……そんな気がするという……ただそれだけのことだ」

 少なくとも、オレの中で、予想は確信であった。だが、それをヴィンセントに告げても、事態は変わらない。……無意味に、ただ悲しませるだけだろう。

 与える痛みは、できるだけ小さな方がいい。長く思い煩わせ、つらい目に遭わせるのは酷だと感じた。

 

 ……ああ、オレは何を気にしているのだ。

 自分の肉体が、消えるか否かというときに。

 たまたまこの場所で出逢った男相手に、いったい何を気遣ってやっているのか。

 

 苦笑しつつ、オレは手近にあったタオルを放り投げた。

「……セ、セフィロス……」 

「顔を拭け。おまえが泣くと、ガキどもが大騒ぎする」

 ……だが、これは逆効果だったようだ。

 オレは散々コイツを虐めてきたが、やさしくしてやった覚えは欠片ほどもない。たかが手拭きを渡し、涙を拭けと言っただけで、ヴィンセントはひどく動揺した。

 兎のような紅い瞳に、ぶわっと大粒の涙が盛り上がる。本人もあわてて顔を押さえるが、ガクガクと震える細い指が、落ち着きを取り戻すのには時間がかかった。

 正直、イライラしなかったわけではないが、ヴィンセントを怒鳴りつけたり、宥めすかしたりもせず、ただ泣き止むのを待った。

 

「……落ち着いたか?」

 低く問うと、ヴィンセントは小さく頷いたが、声は出さなかった。

「ヴィンセント……」

「……セフィロス……ッ」

 オレの言葉を遮って、ヴィンセントがこちらに呼びかける。

 未だ、紅の双眸は露を含んだままだが、そこに確固たる秘めた意志のようなものが見られる。

「……おい?」

「私はあきらめない」

 きっぱりとヴィンセントが言った。

「…………?」

「……君の身体のことだ……本当に肉体に無理が来ているのかどうか……それは私にはわからない」

「…………」

「だが、仮に原因が何であったにせよ、手をこまねいて、ただ眺めているのは耐え難い」

「…………」

「確かに今の君の肉体が、人として不自然な状況であると言われても認めざるを得ない。だが、少なくともリユニオンしていない生身の人間ならば、普通の人体にとって有益な事柄は、そのまま君の身体にとっても有効なのだと思う」

「……まぁ、それはそうだろうが」

 言葉少なに同意を示した。ヴィンセントの言っていることは、一応理屈が通っている。要は、オレの身体が生身の身体なら、フツーの人にとって身体によいことならば、オレにとってもよいはずだと言いたいのだろう。

 

「消極的に聞こえるかも知れないが、心身ともに安寧な生活をすることが肝要なのではなかろうか」

「具体的には、よく寝て、よく食って、夜遊びをするなということか? フフ……遠回しな言い方だな、ヴィンセント」

 婉曲な物言いに、ついつい笑いが口をついた。

 ヤズーやクラウドのように、オレの外泊や帰宅を、あからさまに非難するでもないくせに、心のどこかには引っかかっていたのだろう。

「あ、あの……い、いや……そんなつもりは……」

「まぁいい。今回のことにしても、多少なりともオレの不摂生が起因している」

「……すまない……君のプライベートに口出しをするつもりはなかったのだが……あの日も……倒れた日も帰宅が夜半過ぎだったろう? ずっと……気になっていて……その……心配で……」

 押しつけがましい口調にならないよう、気遣っているのだろう。何度かオレの顔を見上げ、機嫌を伺いつつしゃべった。

「ああ、わかったわかった」

 オレは適当に話を打ち切った。

「セ、セフィロス……」        

「いずれにせよ、落ち着くまでは外出もままならん。しばらくは控えることにする」

 溜め息混じりにそう答えるオレに、

「ありがとう」

 と答えた。なぜここで礼に言葉が出るのかはわからないが、いちいち追求しないでおく。

 

「……それより、ヴィンセント」

 オレは声を改めた。

「…………」

「……オレの身体のことはガキどもに気取られるなよ。まぁ、クラウドのヤツは仕方がないにしても、他の連中には」

「……セフィロス……」

「別にリユニオンが原因云々ではないだろうしな。オレ自身の身体とヤツラは別物だから、無関係とは思うが……不必要な不安は与えない方がいい。ロン毛はともかく、あとの二人はまったく話にならないほどの子どもだからな」

「……君は……君という人は、本当に思いやりがあるのだな」

 胸のあたりで手を組み、感動したようにささやくヴィンセント。どこまで善良にできているのか、コイツは。

「勘違いするな。まだ原因がハッキリしたわけじゃないと言っただろう。さっきの話はあくまでも可能性の問題だ。……それに、やはり想像通りの結果だとしても、騒がれるのは煩わしい」

「わかった……任せてくれ」

 そうは言ってくれるが、ひどく頼りない。いや、ヴィンセントらしいと言うべきか……

 

「……ふぅ……」

 オレはゆっくりと吐息した。

 ……やはり熱があるようだ。『リユニオンしていない普通の人体』という見地に立つのなら、ヴィンセントの理屈は道理だと思うが、ならば「人間の薬」も効いてよいはずだと思うのだが……

 サイドボードに、水差しと一緒に置かれた粉薬を見遣る。熱冷ましだというが、本当に効果が現れているのだろうか。一時的に落ち着いても、すぐに熱がぶり返している。

 ……あのロン毛ヤローが小麦粉にでも換えたんじゃなかろうか。

 

「疲れただろう、セフィロス。すまない……取り乱したりして」

「……もう慣れた」

「……あ……あの……す、すまない」

 あっさりとオレに返され、困惑するヴィンセント。涙の乾いた頬が紅く染まってしまう。
 
「フン……」

「……あ、ああ、食事が冷めてしまった……あの、少しでも……食べられるだろうか?」

 おずおずと訊ねてくる様が鬱陶しくて、オレは適当に頷いた。

「で、では、スープを温め直してくる。それからフルーツも食べやすいように小さく切ってくるから……」

「……あまり気を使うな」

 オレは独り言のようにそう言った。正直、長々と会話していて疲労していた。

「……私にできることならば何でもする。君が望むことなら……何でも」

「……フフン、ではそのセリフ、オレが完治したら、深夜の寝室でもう一度言ってもらおうか」

 横になったまま、目を閉じてオレはつぶやいた。

「……まったく……君は……すぐに人をからかう……では、行って来るから……」

「みゅん、みゅん!」

「ああ、おまえは、ちゃんとセフィロスについていてくれ」

 ヴィンセントが、そう言いながら、子猫の額を撫でると、チビのヴィンは心得たとばかりに「にゅん!!」と鳴いた。

 

 部屋の扉が音もなく閉まる。

 オレは昼近くの生温い陽光の中、そっと目を綴じ合わせた。

 

 ……オレの身体はどうなってしまったのか?

 本当に限界が来ているのだろうか……だとしたら残された時間はどれほどなのだろう。

 この肉体が滅んだら……『中にいるオレ』はどうなるのだろう?

                 

 ……ああ、よそう……考えても仕方がない。

 本当に……ただのタチの悪い風邪なのかもしれないのだから……あいつのいうとおり、安静にしていれば、時間はかかっても完治する可能性だってあるのだから……

 

 まもなくヴィンセントが戻ってきたが、オレは眠ったふりをした。

 気がついたのか否かわからないが、ヤツはそのままトレイを枕元に置き、そっと部屋を出ていった。

 もし、オレが居なくなったとしても、ヴィンセントにはクラウドが居るし、その逆もまたしかりだ。あいつが泣くのも一時だろう。

 

 不思議にも自身の災禍に恐怖は皆無であった。

 オレは考えを放棄して、そのまま目を閉じた……